代々木ゼミナールの落日

かつて「全日四年制」と呼ばれた、とある高校の卒業式でこんな祝辞が読まれたと記憶している。

「卒業おめでとう。僕たちは 君たちなしでは 生きていけない。


 代々木ゼミナール。」

うまい。

昔好きだった「落ちたぞ 落ちたぞ きれいに落ちた」のCMも、私は代ゼミと記憶していたが、それは渋谷ゼミナールなる予備校だった。

1989年 渋谷ゼミナールCM

これらは端的に予備校の存在意義は、大学受験を目指す高校卒業生の受皿としての役割だったことを示している。

さて、代々木ゼミナールは誰もが知る名門老舗予備校である。
開校は1957年に遡る。

このかつての名門予備校が来年度(2015年)から大幅に縮小する。

・仙台校、横浜校、広島校など22校舎閉鎖。7校に集約(2014年8月23日NHK
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140823/k10014027711000.html
・全国模擬試験廃止
大学入試センター試験の自己採点結果集計・分析は実施しない(2014年8月24日読売新聞)
 http://www.yomiuri.co.jp/national/20140824-OYT1T50008.html

予備校として、ほとんど終了する勢いである。
終了の原因はいくつかあるだろう。

1.予備校間の競争に負けた

予備校といえば、駿台河合塾代ゼミの3択なわけであるが、「代ゼミは3番手」というのが高校生の間で共有された評価だったと認識している。
「上位校を狙うなら駿台」「河合もいいね」というような。

つまり成績上位層はほぼこの2校におさえられてしまっていると思われる。
さて、下位層をメインターゲットにして予備校ビジネスが成り立つのかという問題である。


2.18歳人口の減少という市場の縮小

戦後、18歳人口は劇的に減り、大学定員は劇的に増えている。

1966年 18歳人口:241万人、大学定員:19万人
1976年 18歳人口:154万人、大学定員:30万人
1992年 18歳人口:204万人、大学定員:47万人
2014年 18歳人口:123万人、大学定員:58万人
(出典:文部科学省「大学入学者選抜、大学教育の現状」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai11/sankou2.pdf

おかげで受験者が定員に満たないという、危機的というか終わっている大学が年50以上も出る始末である。
(出典:日本私立学校振興・共済事業団「2008年度私立大学・短期大学等入学志願動向」)
http://www.shigaku.go.jp/shigandoukou20.pdf

大学全入時代。いまや「どこでもいいから大学に入りたい」のであれば、大学受験のための予備校など必要ない。
浪人するのは、恐らく「この大学・学部に入りたい」というこだわりを持つ成績上位者なのではないか。

舞田敏彦氏は、予備校の生徒数を1992年では18万5千人、2014年では4万8千人と試算している。
(出典:データエッセイhttp://tmaita77.blogspot.jp/2014/08/blog-post_24.html

18万から4万。いうなれば市場が消滅している。
むしろこの状況で3校が今日まで生きのびてきている方が凄い。
ちなみに河合塾は2013年度の高卒在籍生を2万5千人としている。
(出典:河合塾「2013年度事業報告書」)

ライバルの駿台河合塾が健在にもかかわらず、肝心の市場が消滅しては生き残れない。
代ゼミの予備校事業からの撤退あるいは大幅な縮小は当然の経営判断だろう。

むしろもっと早くに撤退してもよかったかもしれない。

★★★

これから予備校はどうなるのか。
代々木ゼミナールは店じまいに入った。
河合塾は現役生重視を掲げるが、ならば高校自体を経営した方がいいのでは?とも思う。
むしろ注目は社会人教育事業だ。
河合塾は1987年に社会人・大学生教育事業に本格参入しているが、それなりに実績をつくり成果を上げている。

超使えない大学が多い中、うまくやれば予備校は新たな社会的存在意義を獲得できるだろう。

学びの潜在ニーズは社会人にもある。そこを的確にくみとっていく「学校」はどこか。大学より予備校の方がニーズに応えるポテンシャルがあるのではないか、と思うのだ。


今後の河合塾にも期待したい。

【更新履歴】
2014年8月26日 全面更改