ある昭和的老夫婦の風景
私が見舞に訪れた時、老人は、死の床にあった。
老人はもうほとんど動くことも出来ない。寝ているようにもみえるが、多分寝てはいないだろう。しかし、達者な頃、あれだけよくしゃべった人が今は一言も発しない。
寝たきりの老人の傍らで妻は言った。
「このごろねぇ、昔、殴ったりして悪かったって、そう言うのよ」。
…殴ったんかい。
その老人の暴力性向は割とよく知られていた。昔は妻が「助けて、殺される!」と近所の親戚に電話で助けを求め、親戚がかけつけ土下座して収めたこともあったという。今でいえばDVというやつだ。でも昭和の時代、その程度の暴力は特段、問題にならなかったのだろう。
ちなみに老人の職業は警察官であった。
彼の妻は、近所でも「よくできた人」と評判の主婦だ。家事もうまく、近所における雑務もこなす非常な働き者で、記憶力もよく段取りもうまい。そして人あたりもいい。私は老人より彼の妻の方が、遥かに能力の高い「できる人」であったと思っている。しかし彼女の高い能力が、何らかの仕事を通すかたちで社会に生かされることはなかった。もったいないことだ。
この妻が「よくできた人」というのは全くその通りだ。しかし、私は彼女が仏や天使などではないことも知っている。
今、老人は体の自由もきかない状態にある。その傍らで食事から排泄から、すべての介助を一身に担うのは、昔、彼が散々暴力をふるった彼の妻だ。
長い長い結婚生活の中で、今はじめて妻が、完全なる勝者として立っている。
私はこの状況を目の当たりにし、一瞬「怖い」と思ってしまった。
夫婦間のことなど計り知れない。二人の間に許しがあったのかもしれないし、なかったかもしれない。なかったとしても全く不思議ではないし、例え「許す」と思う瞬間があったとしても「思いだし怒り」に見舞われることもあるだろう。
★★★
中島らもは、自身がアル中で入院した体験を「今夜、すべてのバーで」という小説にしているが、その中でこんな老夫婦の風景を描いている。
足が不自由になって入院している老人を妻が見舞に来る。老人はひたすら妻をののしり怒鳴りつける。
「何十年か連れ添うとったら、犬でももうちっと気をきかすぞ。たださい足がうずいて難儀しとるのに、寝台から落ちてたいそうな血がでとるんだ。食いもんのひとつも下げて飛んでくるのが女房っちゅうもんだろうが。えっ」
老婦人は顔を伏せてちぢこまっているが、別にしょんぼりしている様子でもない。四十年も五十年もこの調子でどなりつけられてきて、何も感じなくなっているのだろう。よく見ると、落とした視線の先、膝の上で梨をむいている。
妻はむいた梨を皿にのせて老人に差し出すが、フォークをなかなか出さない。
隣の患者に「最悪の場合、(夫は)足首から切らないといけないらしいんですよ」などと話しかけて老人の神経を逆なでする。
「すいませんねえ。うるさい、きたない年寄で…」
最初のうち、おれはこの老夫婦の会話をほほえましく聞いていたのだ。昔ながらの封建的だが駄々っ子のような亭主と忍従型の老妻とのやりとりとして。
誤算だった。
婆さんの顔は、抑えきれない喜びに輝いていた。
婆さんは、いまやじっくりと復讐を楽しんでいるのだった。愚鈍を装って、傲慢な夫の神経に、一本一本細い針を突き立てている。ののしられ、婢あつかいされ続けたこの半世紀の間、婆さんはじっとこの日を待ち続けて耐えてきたのだろう。いまや、吉田老に残された武器は、どなり慣れた口だけだ。それも所詮は空砲だ。婆さんはいま、案山子の正体を知ったカラスになって、じわじわと一本足の吉田老に近づいていくのだった。
妻は別にこの日を待ち続けて耐えてきたわけではなく「夫に扶養される妻」という立場にしがみついてきただけだろう。
経済力はすなわち力だ。扶養する者とずっと扶養される者の間に対等な夫婦関係はない。それが婢あつかいにも暴力にもなる。
多分、この老夫婦のエピソードは、らも氏が病院で実際にみたものだろうと思う。これは残念ながら昭和のよくある夫婦の風景だ。
夫婦とは、人生で最も長い時間をかけて築く人間関係にもかかわらず、こんな負の関係というのはどうかと思う。
しかしながら「離婚すればいいのに」「なぜ離婚しなかったのだろう」と思ってしまう夫婦はそこかしこにいる。
なぜ離婚しなかったのか。
1.子どものため。
実際、70年代くらいまでは確かに片親だと就職に不利だった。片親だから不採用、というケースがあった。
2.離婚したら食べていけないから(特にサラリーマンの妻は経済的にとても恵まれた立場だから)。
日本の典型的貧困家庭は、離婚による母子家庭である。仮に子どもがいなくても女性の就職口はほとんどなかった。
3.世間体
離婚者に対する風当たりは今よりずっと強かった。男性も会社において離婚はマイナスに評価された。
・・・・
現在、子どもが就職において不利益をこうむることはほぼない。世間的な風当たりも緩和されている。
しかしながら今でも相変わらず、離婚した女性の貧困率は高い。
母子世帯の総所得平均はなんと年間252万円である。児童のいる世帯の総所得平均658万円と比べるとその貧困ぶりは明らかだ。
この統計をみれば、普通に怖くて離婚できない。
参考:ひとり親世帯の支援について(2013年9月 厚生労働省)
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/pdf/shien_01.pdf#search='%E6%AF%8D%E5%AD%90%E4%B8%96%E5%B8%AF+%E8%B2%A7%E5%9B%B0+%E7%B5%B1%E8%A8%88'
離婚というのは確かに残念な結果ではある。ずっと幸せな家庭が継続するならそれが一番だと思う。しかし、例え人間関係が破たんしていても離婚できないという社会的状況は不幸だ。
離婚率が高い社会は決して不幸ではない。離婚したくてもできない方が不幸だ。つまり離婚のハードルが低い社会の方が幸福度は高い。
中島らも「今夜、すべてのバーで」
- 作者: 中島らも
- 出版社/メーカー: 講談社
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