皇室に関する一考察

少々昔の記憶でおぼろげなのだが、秋篠宮ご夫妻がタイの日本語学校で授業参観をされているビデオを延々と見たことがある。

授業参観というものが退屈でないのは、我が子の授業参観か、教育関係者の仕事上の参観だろう。
そうではない授業参観など、普通、退屈以外の何物でもない。

実際、秋篠宮様の表情には、薄墨が滲むようなそこはかとない退屈が読み取れた。それは皇族としては不適格だろうが、人としては無理もないと思う。私なら墨痕鮮やかに退屈が顔に出てしまうところだろう。

しかしながら紀子妃は、「紀子様スマイル」と呼ばれたあの微笑みを一瞬たりとも崩さず、終始とても熱心に参観していらした。

いやはや。紀子様は本当に凄い。紀子妃のように「皇族として非の打ちどころなくふるまえる人」というのは一体どのくらい世の中に存在するのだろう。
紀子様のような方が皇室に入られたのは、本当はほとんどあり得ない奇跡のような出来事なのだ、と思う。

紀子妃の初めて記者会見で、可憐な容姿と、その上品でゆっくりとした口調があまりに皇室らしく、多くの人が紀子様の存在自体に驚いた。

あの口調は、特別に皇室を意識したものではなく紀子様の普段からのしゃべり方なのだと学習院紀子様と同級だった人に聞いたことがある。
紀子様は帰国子女で、学習院編入された当初は日本語が少し不自由だったのでゆっくり話されていたようだとも。
もっとも紀子様の父親である川嶋教授も非常にゆったりした話し方をされることから、ご家庭の影響が大きいような気もする。

それにしても、むしろ人間離れした存在であることが要求され、常に国民の目にさらされる皇室とは何なのだろう。

★★★

天皇憲法で「日本の象徴」と位置付けられているが、現代日本における天皇の意義とは何だろうか。

私はかつてこのように考えていた。
教育や研究、福祉など、「国がちゃんと重視していますよ」というメッセージを、その分野における重要な式典への出席などで可視的に示さなければならないが、例えば総理大臣などの政治・経済・外交などを担う実務政治家が時間を割くのは難しい、ということがあるだろう。そのようなときに天皇、皇族が出席されるというのは非常に効果的だ。むしろ猫の目のように変わる存在感の軽い首相より、多くの国民の敬愛を集める天皇皇后陛下のご臨席の方が効果的かもしれない。

また、いまだ王室などと持つ国と皇室外交というチャネルを持てることもプラスだろう。

費用(皇室の維持にかかっているお金)対効果(皇室の存在によって得ている日本の利益)という視点から、皇室の存在は日本にとって大きくプラスの存在だと考える。

ちなみに皇室にかかっている年間費用は約170億円だ(2012年度)。

内廷費天皇・内廷にある皇族の日常の費用など): 3億2,400万円
宮廷費(皇室の公的活動、皇居等の施設整備の経費など):55億7,996万円
皇族費(各皇族に対して支給される):2億9,128万円
宮内庁費宮内庁の人件費と事務費):105億4,344万円

1000人を超える宮内庁の人件費が一番大きい。宮内庁には1000人も職員がいることはちょっと驚きだ。

皇室の予算は宮内庁のホームページ確認できる。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/kunaicho/yosan.html


★★★

この皇室は日本にとって有益とする考え方の問題点は、日本国民の利益という視点しかない点だ。「皇室に生まれ、皇族であることを強いられる人間はどうなのよ?」という、いわば人権の視点がないのが問題だろう。

例えば紀子様は成人後、ご自身で皇室に入り皇族として生きることを選択された。それはいい。
しかし、天皇家秋篠宮家に生まれた場合、生まれながらに皇族として生きることが強制される。

皇族に生まれるとはどういうことか。

・生まれた時から否応なく国民の目にさらされる。
生まれた時から全国民から否応なく注目されている。そして、皇太子、皇女、つまり王子様、お姫様なわけで、人々は無意識に美男美女であることを期待している。並の容姿では国民を満足させることができない。ごくごく普通の容姿でも巷で悪しざまに言われてしまう。美智子様紀子様も大変にお美しいのはたまたまではあるまい。あれだけ注目を浴びる立場だ。容姿の美しさも皇族の条件なのだ。でも、容姿端麗に生まれることなどそうそうできるものではない。


・行動は極端に制限される。
私は2度ほど皇太子(浩宮)をみかけたことがある。
1度目は学習院の構内だった。恐らくプライベートにもかかわらず、複数のSPに囲まれていた。母校すら一人で歩くこともできないのかと少なからず驚いた。
2度目はコンサート会場だった。1フロアは皇太子と関係者のみで占められ、皇太子の階上のフロアには1人も入れていなかった。安全上の理由なのか、皇太子の頭上に観客がいるという図が好ましくないという判断なのかは分からない。とにかくその分、本来入ることのできる観客が締め出されているわけで、「皇太子が聴きに来たことによる逸失損益はいくらだよ」と反射的に反発を覚えた。しかし同時に、コンサート中も常に人の目にさらされ、一人、背筋を伸ばして鑑賞されている皇太子の孤独を痛々しくも感じた。コンサート会場入場時の荷物検査体制をひいたり、コンサートひとつ出かけるのにこれだけ大掛かりな用意が必要になるのである。「ある朝、ふと思い立って行きたいコンサートにでかける」などという行動の自由は当然にない。


・常に天皇として皇太子として皇族としてふさわしい振る舞いと言動を要求される
常に、無私公正で非の打ちどころのない振る舞いと物言いが天皇皇后、皇族のあるべき姿として要求される。好き嫌いの表明も不適切とされる立場だ。昭和天皇がお気に入りの力士など絶対に口にされなかったというのは有名な話だ。
権力と影響力を持つ立場にいると軽々な発言ができないというのは、当たり前と言えば当たり前のことで、その程度は違えど、例えば部下のいる上司の立場なども同様なのだが、それは大人になってから、自身の意志により立つ立場だ。しかし、皇族は巷の役職などとは比べ物にならない影響力と一定の権力を持つ重い立場に生まれた時から否応なしに立つ。
大体、常に無私公正で、様々な立場からのつっこみどころのない振る舞いとお言葉、そして更に国民を感動させる言動を成すなど、本来、人間業ではない。人間業ではないことを実現してしまっている現天皇皇后にむしろ驚嘆すべきところで、本来、できないのが当たり前だと私は思う。
しかも現在、昔と違って天皇、皇室は「御簾に隠れて七難隠す」という手が使えない。


・「基本的人権」は制限される
皇太子は生まれた時から天皇とならねばならぬ重圧の元に生きなければならないが、皇太子以外も皇室に生まれた以上、選択出来ない職業が沢山ある。政治家は勿論のこと、事業家になるという選択肢もまずありえない。というか、皇室というブランドを利用しようとする有象無象に利用され、スキャンダルに巻き込まれるリスクが限りなく高く、軽々に職に就くなどできない。研究者になるにしても、研究分野は事実上、制限されているだろう。研究分野に政治とか原子力とか、ちょっとない。職業選択の自由も、思想、信教、学問の自由もかなり制限される。

日本国憲法では「国民の権利及び義務」が第10条からはじまるが、「この憲法が国民に保障する基本的人権」のいくつかは天皇、皇太子、皇族には適用されない。または適用されることが適切と思われていない。

憲法
第11条  国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第13条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第14条  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2  華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3  栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
第19条  思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第20条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2  何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
第21条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
第22条  何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
第23条  学問の自由は、これを保障する。


★★★

天皇および皇族は、一般国民には憲法で保障されているいくつかの基本的人権がない。いわば「人間外」の存在として扱われている。人間外という意味では、江戸時代のいわゆる穢多(えた)非人という被差別民と皇族の身分は対極的存在だ。

私はいまだかつて「皇太子や内親王に生まれたかった」というような台詞を聞いたことがない。「あんな面倒な立場に生まれなくてよかった」と多分、ほとんどの人が思っている。そういう立場に生まれながらにある人々が存在することを肯定する(=天皇制の肯定)のはいかがなものなのだろう。


現在、「あのお二人を尊敬しなかったからむしろどうかしている」レベルに献身的に尽くされている現在の天皇皇后両陛下の存在により、天皇制に敬意を払い肯定せざるをえない。

また、皇室の次代を担われるであろう秋篠宮ご夫妻も天皇制について肯定的にお考えのようであるし、皇室を担われる意志をお持ちのように見受けられている。
巷でも「天皇制は廃止すべき」というような主張は超少数派のものだ。

が、それでもあえて言おう。

本来、人権の見地から天皇制は廃止すべきなのではないか。