山猿問答にはじまる山田線の未来

山田線(盛岡〜宮古〜釜石)はしばしば我田引鉄の代表的な事例として挙げられる。

1920年(大正9年)、帝国会議での山猿問答。

中村是公議員「原総理は、そんな山奥に鉄道を敷いて、山猿でも乗せる気ですか」
原敬総理(岩手県出身)「よく調べてもらえばわかることですが、日本の国有鉄道法では、山猿は乗せないことになっています」

原総理、とっさの答弁としては当意即妙。
イギリス議会にならうならば、与野党そろってとりあえず「Yeahhh!」と盛り上がっておきたい場面だろう。

ただし、そこで中村議員がひっこんでしまってはいけない。改めて
国有鉄道法に基づいて乗車することができる人員の見込み」
「敷設費用とランニングコストを踏まえた採算性」
についてつっこまなければ。

原総理にも是非、
「山田線開通により見込まれる効果(付近の住民の就学率の向上や津波来襲時の救援シミュレーションなど)」
をプレゼンしていただきたいところ。

勿論、それらの検討やプレゼンは行われただろう。行われたと信じている。
その辺りの資料が残っていたら読んでみたい。

★★★

それにしても現在の山田線の使えなさは並ではない。とにかく本数が少ない。盛岡〜宮古(快速で約2時間)は1日たった4往復。

乗客数も少ない。例えば区界(くざかい)駅の2011年1日あたり乗車客数はなんと2人。

かの宮脇俊三氏は1985年(昭和60年)に第三セクター方式で開業して1年を経た三陸鉄道を訪れてこのように書いている。

岩手県の鉄道の体系は珍妙なことになったと思う。北上川沿いを行くのは超一級の東北新幹線、海岸も一級品の三陸鉄道、その間を結ぶ国鉄の在来線は「ナベヅル線」や「サルでも乗せるつもりか」の三流路線である。
宮脇俊三「線路のない時刻表」)

注)ナベヅル線とは大船渡線のこと

呆れるばかりの非効率の権化であった国鉄からJRへ民営化を果たした今も山田線が三流路線に留まる原因はなんだろう。

盛岡〜宮古間の公共交通はバスが担っていることに異論はあるまい。バスは1時間1本あまり。
しかし、所要時間は約2時間と鉄道と変わらない。
その気になれば山田線は有意な公共交通機関となれるはずだ。

盛岡都市圏は人口40万人を超える。鉄道で採算がとれないわけがない。

土木学会で興味深いレポートをみつけた。
「JR山田線盛岡近郊区間の輸送改善について」
http://www.jsce.or.jp/library/open/proc/maglist2/00039/200211_no26/pdf/15.pdf#search='%E5%B1%B1%E7%94%B0%E7%B7%9A+%E4%B9%97%E8%BB%8A%E6%95%B0'

山田線利用者の乗車目的は、通勤が61.9%、通学が25.4%と、通勤・通学客が盛岡近郊各駅利用者の9割を占めた。

通勤・通学客にもかかわらず、山田線の利用は朝の行きに限られ、帰りはバスという人が多いという。
それでは定期券も買えない。交通費が随分とかさむことになり、常識的にはありえない状態だ。

しかしそれも無理もない。


盛岡発下り列車 平日 16時以降の時刻表(2012年11月現在)

16時32分(宮古行)
18時59分(宮古行)

終了。

これは確かに使えない。

盛岡近郊のみ、上米内行だけでも増発することはできないのだろうか。
採算は採れそうな気がするのだが。

せっかく敷設した鉄道。果たせる社会的役割は果たさないと。


・・・・・

山田線
1920年(大正9年) 着工
1923年(大正12年)盛岡〜上米内開通
1934年(昭和9年) 宮古まで開通
1939年(昭和14年)釜石まで全面開通

*2011年3月11日から宮古〜釜石間は不通

参考)「図説 宮古・釜石・気仙・上、下閉伊の歴史」