親族間の扶養義務に関する今時の感覚

生活保護世帯数が増えている。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/gyousei/10/dl/kekka1.pdf

私は生活保護となるケースがかつてより増加しやすい社会になっていると考える。
親族間扶養義務の「感覚」が確実に変化していると思うからだ。

例えばよしながふみ「きのう何食べた」の5巻に、主人公の1人、美容師の矢吹氏(45歳くらい?)には生活保護を受けている父親がいるという話がでてくるのだが、その話は実に端的に今の親族の扶養義務感覚を表していると思う。

きのう何食べた?(5) (モーニング KC)

きのう何食べた?(5) (モーニング KC)

俺が物心ついた時にはとーちゃん もう女と逃げちゃった後でめったに帰ってこなくてさあ。
俺にとっては何年かにいっぺんお金を奪る(とる)ために家に帰ってきてちょっと家族に暴力ふるってまたどっかに行っちゃうおじさんて感じの人で

美容師の母親は、日々家族の食い扶持を稼ぎつつ、めったに帰ってこない夫となんとなく離婚の手続きをできずに今日に至る。
そしてある日、千葉市から通知がくる。

「扶養義務の調査について」
「あなたの夫にあたる矢吹賢一様は生活保護法による保護を申請しておりますが生活保護法では民法で定められている近親者からの扶養をいちばん先に求めることになっていおります。そこであなたの資力に応じできる範囲内で扶養援助をしていただきたく別紙届書によりご回答ください。」

で、母親、子ども3名は総意のもと「経済的余裕は無いので扶養できません」と回答する。

読者にとって「ええー、びっくり」という要素がない話だと作者も思って描いているし、「浅くもないけど深くもない話だぜ」という主人公の片割れである筧氏の感想が「これって特に珍しい話でも珍しい対応でもないよね」という感覚を表している。
親とはいえ「これまでの人生で、ほとんど迷惑しかかけられてませんが・・」という相手に対して扶養義務があるとは思えない。というのは今時の一般的な感覚だろう。

ここで民法をみてみよう。

民法 
(扶養義務者)
第877条 直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある。

この民法を読んでも「主人公は直系血族(子ども)として扶養の義務があるんだから、1万円でも2万円でも父親に仕送りすべきだよ!」とか思う読者はほとんどいないと思う。
民法第877条はあくまでケースバイケースの努力義務との理解だろう。

しかしながら1950年代や1960年代(昭和30年代、40年代とか書いたほうが感覚的に分かりやすいか)に「そりゃ主人公はこの父親を扶養しないで生活保護受けさせるよね」というニュアンスがここまで前面に出た作品が描かれたかどうかは疑問だ。

何しろ親は尊属、子は卑属だ。「子は親を敬い仕え、面倒をみるのが当然。例えその親がどんな人でなしであっても」という「常識」はそう昔のものではなかろう。

ここで思い出すのは、小学だか中学の道徳の授業だ。
うろ覚えなので正確ではないかもしれないが、確かこんな話だった。

やはり大して家族に貢献していない、というか家族に大迷惑をかけた老いた放蕩父親が病気で介護が必要な身となったことが判明。その父親を息子家族が引き取る。介護を一身に受け持つのは息子の嫁。で、とある日の夕飯時、嫁が介護の手間をちょっと省く提案(シーツをかえる回数を減らすんだったか食事の内容を変更するんだったか)をしたら夫に頭から否定され「ちゃんとやれ」と怒られる。

え?これが「道徳的あるべき説話」なのですか?
嫁の立場に立てば「赤の他人、かつ、かつて夫家族に大迷惑をかけたとしか聞いてない老人の世話を無報酬で一生懸命しろ」と言われているわけで、どう介護のモチベーションをもてばいいのやら私には皆目検討もつかない。

子どもながらに、「なんて理不尽な話なんだ。息子、父親の面倒をみたいなら自分でみろよ!」「大体、私が息子なら引き取らないしそんな義理ないと思うね」と思った記憶がある。

放蕩親父を引き取って同居となった瞬間、嫁にも民法第730条が適用になるかもしれない。

(親族間の扶け合い)
第730条 直系血族及び同居の親族は、互いに扶け合わなければならない。

民法第877条、第730条をふまえてこれがあるべき姿なのだ」と、かの道徳の教科書は主張するのかもしれない。
私としては、第877条についていえば嫁は直系血族ではないし、第730条についていえば病身の寝たきりの、今までの人生で特に接点もなかった寝たきり老人の世話を一人で担うという重労働、精神的負担は「扶け合い」の範疇に収めるには重過ぎないか?という疑問を感じる。

もちろん通常の親子関係であれば多大な労力と愛情をかけて育ててくれた親への感謝や愛情があるだろう。
例えば、「きのう何食べた?」の4巻では筧氏(サラリーマン弁護士)が毎月、両親に仕送りをすることになる話が掲載されている。

きのう何食べた?(4) (モーニング KC)

きのう何食べた?(4) (モーニング KC)

自分自身だったらどうだろうと考えてみても、親の生活資金がショートすれば、多少自分の生活は切り詰めても仕送りをするだろう。筧氏のように、いざとなれば仕送りなり扶養をするのが普通の親子関係の感覚だろう。

昔との違いは、現在は、ただ親だというだけで子には親の扶養義務が当然にあるとは一般的に考えられなくなっているということだ。


それともうひとつ。優先度に関する感覚変化もあるだろう。
子どもと親と、扶養のプライオリティー(優先度)はどちらにあるのか。
普通は当然に子どもだろう。


作品の中で親に仕送りをすることになる筧氏には子どもがいないが、40代といえばまだ未成年、かつ最も教育費がかかる年齢の子どもがいることが多い。

例えば「自分の子どもに志望大学、志望校をあきらめさせて親を扶養」というストーリーは「ないな」と思う。

自分自身の生活を切り詰める範囲内での扶養が不可能であれば、やはり親には生活保護を申請してもらうのではないか。

★★★

では、兄弟姉妹の場合はどうだろう。

例をあげよう。

とある6人兄弟姉妹。その中に、若い時から家出して水商売に走るは、マルチ商法やら宗教に嵌るはと、あらゆる迷惑な行為を繰り返して、親兄弟に心労と迷惑をかけ続けてきた者がいた。
両親も亡くなったある日、5人の兄弟姉妹に「扶養義務の調査について」が送付されてきた。

ある兄弟は、今までかけられた迷惑の数々を思い出し、「扶養する気は全くありません」と書いて提出して当然だ。と思った。
しかし驚くべきことに長男は「扶養すべきではないかと悩んだ」という。
他の兄弟姉妹は相続放棄をして自分が家を継いでいるのだから、自分には兄弟姉妹の面倒をみる義務があるのだと考えたらしい。


戦後(1947年)の民法改正以前は「戸主」(大抵の場合、長男)がすべてを相続し、「戸主」は親族の扶養義務を負っていた。
なるほど、長男以外のすべての兄弟姉妹が相続放棄をしたことも考え合わせ、長男にはいまだに「戸主」の感覚が生きていることになる。

しかし民法は改正されている。

民法
(子及びその代襲者等の相続権)
第887条 被相続人の子は、相続人になる。

相続の権利は長男1人に限られていない。現行の民法では子どもには等分に相続権が認められている。兄弟姉妹の立ち位置は五分だ。

ついでながら長男の嫁は義父母の介護を無報酬で長年、一身に担おうが「被相続人の子」でないので相続権は一切ない。

思うに、「長男が家を継ぎ、親の面倒をみるべきだ(場合によっては兄弟姉妹の面倒もみるべきだ)。」と考えるならば、現行民法にかかわらず「すべての財産は長男が相続するのが当然」と考えなければおかしいのではないか。
「親の面倒は長男がみるべきだ」と言いながら、「子ども全員に相続権がある」というように、どちらか片方の考え方だけ主張するのは「いいとこどり」にもほどがあり、都合がよすぎる。

「兄弟姉妹は五分だ」という考え方に立てば、親は子ども全員で面倒をみるべきだし、相続権は子ども全員に平等にある。
実際には全員で平等に面倒をみるというのは難しいが、しかし兄弟姉妹が「長男家族がみて当然」と考えているのと、「本来は全員でみるべきなのだが」と考えているのでは全く違う。
そして五分の兄弟姉妹間においては扶養義務に違和感が生じてくるのは当然なのではなかろうか。

とある2人兄妹の話。
「兄(30歳前後)がニートというか引きこもりで働いてないんです。今は親が養っていますが、将来、私が扶養するのでしょうか。私、いやですよ。」
「親なら分かりますが、兄弟を扶養ってそういう義務はないという気がします。」

似たような話はよく聞く。長男から聞く場合も含めて。
今後、長男を戸主とみる昔の感覚にもとづけば兄弟姉妹が扶養したであろうが、兄弟姉妹が扶養せず生活保護となるケースが増加していくだろう。

自分自身、もし私が生活に困窮した場合、生活保護を受けるという選択肢は「有りだ」と思うが、兄弟の援助を受ける(扶養となる)という選択肢は「無いな」と思う。
生活保護申請にあたって、兄弟には、「扶養義務の調査について」について、「経済的余裕なし」とでも書いて提出することをお願いするだろうし、兄弟も、抵抗無くそうするだろう。
事情によっては扶養する場合がないわけではないにしても、基本的にはないと思う。
昔のように「○○家の人間が生活保護なんて…」というような生活保護に対する忌避感も薄らいでいる。

この感覚の変化が悪い変化だとは思わない。

個人的には、必要があれば、甥姪、いとこの子といった遠い親族だろうが、学齢期の児童や20歳前の未成年であれば扶養、学費等の援助をすることはむしろ義務として積極的に検討するだろう。
その子との個人的な相性などは加味するにしても。

努力義務であれば民法第877条はありだと思うが、それでも、ことに兄弟姉妹に対する扶養「義務」については違和感がぬぐえない。

今後、生活保護は益々身近になり重要性を増していくことは確かだと思う。

<関連記事>
2012年8月25日「扶養義務を考える」