源泉かけ流しより大切なこと

10年以上昔の話だが、福島の、とある有名温泉旅館を訪れた時の話である。

なにしろ温泉が売りの宿である。到着するやいなや、嬉々として露天風呂に向かった。
そこでみた不思議な光景は、今も鮮やかに思い出せる。

温泉に浸かっている人など1人もおらず、みな浴槽の縁のそこかしこに足まで上げて座っているのである。

「え。なんでみんな温泉に入らないの?どういうこと?」

いざ自分が温泉に入ろうとして分かった。
熱い。熱すぎる。私には熱すぎて入れたものではなかった。
私だけではない。
時折、意を決して湯船に入る人がいるが、せいぜい数秒、数十秒が限度なのである。

…なにこの我慢大会。

宿泊中、宿の人と話をする機会があった。

「ここは加水加温を一切しない源泉かけ流しが自慢でね」。
「夏なんか熱すぎてみんな入れないんだよ」(←自慢気)。

源泉かけ流しって、そんな重要か?

心から叫びたい。

「温泉は、入れなかったら意味がない。快適でなかったら意味がない」。

私は熱くて入れない温泉より、加水して入れる温泉の方がいい。

大体、別に加水しなくたって温度調節の方法なんていくらでもあるだろう。
今は昭和初期ではない。いくらでも使える技術がある。

初期費用もメンテナンスコストもできるだけ安く、ついでに見栄えのする温泉の温度調節方法特集とか、どこかの建築系雑誌でやってくれないだろうか。

いや、まずは「快適な温度で提供しよう」という発想が温泉側にあることが必要だ。

 

2019年の飯坂温泉の鯖湖湯をみてみよう。

 

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日本最古の木造建築共同浴場(明治22年建築)で、平成5年に明治を偲ぶ共同浴場として忠実に再現しました。

浴槽温度 47度前後(源泉かけ流しの為、熱いお湯が特徴です。)

 

福島の温泉は、あいかわらず源泉かけ流し原理主義らしい。

 

再現は、建物の素敵成分だけでいい。

「源泉かけ流しのため、熱いお湯が特徴です」じゃなくて、「現代の技術を駆使し、快適な湯温を実現しました」にして欲しい。

入れないほど熱い温泉なんぞ、二度と行くかいな。

せっかくそこにいい源泉があるのなら、それを快適に提供して欲しい。