安藤忠雄の住宅
安藤忠雄氏の建築は、一見して「かっこいい」「美しい」と思わされる。視覚的に強烈なインパクトがある。
地中美術館をはじめ、見た瞬間に感嘆の声がもれるほどかっこいい。忘れがたく記憶に残る建物だ。
新国立美術館の「安藤忠雄展」で、安藤氏が住宅にこだわりを持っていて、今まで数多くの住宅を手掛けていることを初めて知った。
新国立美術館「安藤忠雄展―挑戦―」2017年9月27日〜 12月18日
http://www.tadao-ando.com/exhibition2017/
住宅は個人の私的空間なので、書籍やこういう美術展で紹介されなければ、知ることはない。
安藤氏の住宅は、私とは全然違う価値観でつくられていることに驚愕する。
私が耐震性など安全面以外で「よい住宅の条件」として重要視するのは3つだ。
1.快適に生活できること。快適な温度調節ができることは当然の条件。
2.生活動線が合理的であること(連続していること)
3.メンテナンスコスト(手間と費用)が低廉であること
安藤忠雄氏の住宅はこれらの条件をあっさり反故にする。
◆1976年『住吉の長屋』
日本建築学会賞を受賞した安藤氏の出世作である。生活の中に自然を引き入れることをめざした住宅だそうだ。
住宅密集地かつ長屋の真ん中部分の建て替えである。非常に制約された条件下での仕事であることは理解する。
しかし。
この住宅はなんと真ん中、狭い敷地の三分の一が中庭となっている。中庭には屋根はない。二階の寝室からトイレには中庭を通らねばならない。雨が降ったらトイレに行くのに傘がいる。
冷暖房なし。冬は寒い。夏は暑い。
中庭から二階への階段は手すりなし。「酔っぱらったら落ちそうで怖い」と私などは思ってしまう。
もちろん、生活の中に自然を引き入れることは時に厳しくもあり、規模や環境を考えても『住吉』が現在の住まいの一般解になることはないでしょう。(安藤忠雄「住宅」)
当たり前だ。私は絶対この家には住みたくない。
安藤氏、施主から「寒かったらどうするのか?」と問われて最終的に「諦めてください。人生とは諦めることが重要です」と答えている。
あげく「この家は住む人の体力にかかっている」(新国立美術館「安藤忠雄展」安藤氏自身による解説)
なんてとんでもないことを言い放つ建築家だ。
しかしながら、施主夫妻は2017年現在においてもこの長屋に住み続けているそうだ。
「村野藤吾氏がこの家に賞を与えるならば、安藤氏ではなく施主に与えるべきだ」と言ったというが、全面的に賛成である。
安藤氏は「私のつくる家は住みにくいですよ」と公言して建築家として邁進していく。
◆1981年、84年、2006年『小篠邸』
コシノヒロコ氏曰く
「快適な生活からはどんなに離脱していたとしても、安藤さんの建築空間はファッションデザイナーとしての私に必要なものでした」
(安藤忠雄「住宅」)
なるほど。ニーズは人それぞれだ。とはいえ特殊なニーズだな、と思う。
コシノ氏と安藤氏は、30年以上にわたって別棟の増築や大幅改築をたゆまず続けている。20年後の改築で冬場も快適になったという。20年。どれだけ長期プロジェクト。
◆2010年『靭公園の住宅』
施主いわく、
人の価値観それぞれだ。住宅こそ多様性の宝庫なのかもしれない。
笑ったのは次のエピソードだ。
「安藤さんからの提案で、室内からの視線を考慮し、隣の公園の樹木が弱っていたのでこっそり新しい木を植えました。なぜか、あとで、大阪市から苦情がきて、謝りに行きましたが、他人の敷地でも勝手に木を植えようという精神には感心しました」(安藤忠雄「住宅」)
安藤忠雄氏らしい。彼のバイタリティは半端ない。
★★★
安藤忠雄氏の最大の強みは「私がつくる住宅は、寒い、使いにくいとかいろいろ問題があると思いますが、つくる過程を共にしていくと、意外とトラブルにはなりませんね」(安藤忠雄「住宅」)という尋常ではないコミュニケーション能力なのではないか、という気がする。
ただ、安藤氏は施主に「ひたすらがんばれ」という一方で、自分自身は「自分の(つくる)家は使いにくくてしんどい」(新国立美術館「安藤忠雄展」本人の解説ガイド)といい、自分のつくった家には住んでない。
安藤氏、他人に頑張ることを求める以上、自分も自らのつくった家に住んで頑張るべきだと思ってしまうのだが。
【参考】
安藤忠雄「住宅」
- 作者: 安藤忠雄
- 出版社/メーカー: エーディーエー・エディタ・トーキョー
- 発売日: 2017/09/27
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