明治開業の木造旅館にみる今昔

1910年(明治43年)開業の木造旅館に泊まってみた。

それはそれは贅を凝らした建築。風格ある佇まい。廊下も階段も部屋もよく手入れされてピカピカ。
いい旅館だし、納得の登録有形文化財である。

明治の時代、地方においては日本有数の高級旅館だったようだが、平成の今は、どちらかといえば安い旅館となっている。
かなり美味しい食事がついて、1泊2食で1人16,000円程度。お得。

せっかくなので、館内を館主にガイドしていただいた。

いやはや。たかが100年にもかかわらず、建築技術のすさまじい進歩、そして、人々の感覚、文化の激変ぶりがすごい。

いくつか印象に残ったところをメモしてみる。

1.明治時代、部屋の入口はふすまだった。のみならず、隣の部屋との境もふすまの場合があった。

入口がふすまということは、多分、鍵はない。現在の感覚からするとありえない。
しかも、隣室との境がふすまって。隣の話声はもちろん、夜中なら、いびき、寝息も聞こえるだろう。
ドアも壁もふすまでOKという明治の感覚がすごい。
もちろん、今、そんな旅館、ありえないので、鍵のかかるドアをつけて改修している。構造的に、若干、不自然な犠牲を払いつつ、ドアを設置している部屋もある。

2.大宴会の際は、1人ずつ、手元に火鉢を置いた。

この旅館の宴会場(大広間)はすごい。広いだけではない。船底天井、欄間、床の間、ため息がもれる豪華さなのだ。

しかし。昔は、冬、大宴会をする際は、1人ずつ、手元に火鉢を置いたそうな。
どんだけ寒いんだ。

確かに木造家屋に断熱性は期待できない。昼間などは、屋根で影になっている分、暖房しなければ外より寒い。

そして、革新的な暖房といえば、多分、石油ストーブだろう。
日本で石油ストーブがつくられたのは、1955年(昭和30年)のこと。

明治どころか昭和も戦後になるまで、北国や京都に限らず、日本の冬はめちゃめちゃ寒かったのだ、としみじみ感慨深い。


3.昔の木造建築に遮音性なし
色々と改修しているものの、壁は昔通り、土壁。
あと、構造的な問題もあるだろうが、泊まってみた感想として、とにかくもう、「こんな廊下の話声が筒抜けの宿、今時はない」レベル。
明治まで、多分、プライバシーとか、そういう概念がなかった、というのは言い過ぎとしても、今とは随分とプライバシーの感覚は違ったことは間違いないだろう。

4.昔の温泉は、地下または半地下

明治期、お湯を「上に揚げる」技術はなかった。というわけで、温泉は、地下や半地下に設置される場合が多かったそうだ。言われてみれば、通常、お湯は、上から下に流れるもの。
「源泉より高いところに浴場設置」というのは、明治期以前においては、「どうお湯を上まで運ぶのか」という解決しかねる問題があったのだ。
今、最上階に温泉を設置している激安ビジネスホテルが沢山あるが、あれは、よく考えてみれば、ものすごく贅沢だ。

5.「主たる玄関」と「従たる玄関」が2つならんでいる。

旅館には、なぜか、客用の玄関が2つある。昔は「立派な方の玄関」を利用できる客と、「その脇の玄関」を利用しなければいけない客がいたそうだ。
どういう人が「立派な玄関」を利用できるお客だったのか。そこは聞き漏らした。

戦前の身分制度を考えると、恐らく、「立派な玄関」は華族のみが利用できたのかな、と推測する。
先の戦争中は、軍人が随分威張っていたと聞くが、もしかしたら、階級の高い軍人も利用できたのだろうか。

「誰が主たる玄関を利用できたのか」にも、時代の変遷がありそうな気がする。どこかに記録が残っていたら是非みてみたい。それこそ、時代を映した記録だろう。

もちろん、今では客であればだれでも「立派な玄関」から入ることができる。

★★★

「こんなにも時代によって色んなものが変化したのか」というのを体感する意味で、明治の木造旅館に泊まるのはとても楽しい。

でも。

普通に、最近、建てた旅館の方が、快適で「いい建物」だ。耐震の問題もある。また、昔の木造建物は、維持に手間もコストも多大にかかる。

基本的に私は「昔の建物なんぞ、さっさと壊して新しい素敵な建物をつくったらええがな」と思っている。

多湿で建物が劣化しやすい日本において、苦労とコストをかけて残す「価値」のある建物とは。
多分、建物保存の容易なヨーロッパなどとはまた別の考え方にならざるをえないだろう、と思う。

世界は「今を生きる人のためにある」わけだし。