大阪科学技術センタービル火災
あまりに多くの死者や負傷者を出した大惨事でつとに有名な「千日デパートビル火災」。
色々読んでると、つい思ってしまう。「プレイタウン(犠牲者はみなこのキャバレーにいた)の高田支配人(防火管理者)が有能で、適切な避難誘導をしていたら、こんな多数の死者、負傷者はでなかったんじゃね?」
なにしろB階段(各階の売り場と遮断されたプレイタウン専用避難階段)からの避難者がたった2名。「なんでだよ」とつっこまざるをえない。
高田支配人は防火管理者として、手元に「防火管理の知識」という冊子を持っていた。しかし「むずかしくて、面白くない本だと思って、読んでいなかった」と後の裁判で証言している。
「あかんわ、無能すぎる。こんなのが責任者かよ…」。この支配人、火災についての知識皆無だし、階下で火災が発生の際、どう避難するかちらとも考えたことがなかっただろう。
とはいえ、適切な行動がとれなかったとしても「現場の人」に責任を押し付けるのは、あまり好きではない。大惨事には、ビルの手抜き工事とか、ほかにもいろいろな要因があったわけだし。
なので最終的に、高田支配人が無罪となったのはよかったと思う。
ただ、千日デパートビル火災の裁判過程で「適切な避難誘導例」があげられていて興味深い。
「千日デパートビル火災から12年後」というから、1984年のことだろう。
火災が起こったのは大阪科学技術センタービルである。
このビルは地上9階建てのビルで、昼間に3階から出火した。館内には来訪者、従業員ら679人がいたが、出火管理者が非常放送で「3階で火事です。中央階段を利用せず、東階段から避難して下さい」と呼びかけた。この放送を聞いたのは224人。聞かなかった人も含め総勢263人が東階段から避難したのである。
また煙が充満して前方が全く見えなかったり、数メートル先しか見えなかった状態で避難した者が219人もいた。そのような危険な状況にもかかわらず、この火事ではわずか8人が軽い一酸化炭素中毒になった程度で、死者は1人も出なかった。
(出典:岸本 洋平「煙に斃れた118人―千日デパートビル大惨事から30年 (近代消防ブックレット)」P.78)
すごい。
もちろん、その他の条件が千日デパートビルとは違うだろう。
千日デパートビルの場合、B階段前をクロークにしていて、避難階段前まで、おそらく1人ずつ通り抜けるのがやっとの状況だったようだ。また、夜10時半すぎのキャバレーなんて、みな酔っ払いなわけで、酔っ払い集団が迅速に行動できるわけもなく、全員避難は無理だっただろうな、とは思うが。
でも、大阪科学技術センタービルの火災避難誘導が見事だったのは事実だし、こういう避難が可能なのだ。
大惨事とならなかった火災は忘れさられる。
が、千日デパートビル火災とセットで大阪科学技術センタービル火災、覚えておいていいかもしれない。
「適切な避難誘導」の実現例だ。
【参考】
岸本 洋平「煙に斃れた118人―千日デパートビル大惨事から30年 (近代消防ブックレット)」
煙に斃れた118人―千日デパートビル大惨事から30年 (近代消防ブックレット)
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【関連エントリ】
2017年6月24日「千日デパートビル火災」
http://d.hatena.ne.jp/falken1880/20170624#p1