ソリスト達の美しいハーモニーが聴いてみたい

クラシックコンサートで割と苦痛なのはソリスト達による重唱シーンだ。
とにかくハーモニーが決まらない。美しいハーモニーが聴こえているべき数秒を、あるいは数十秒を、観客は「あっちゃー」と頭を抱えて過ごすことになる。

今までの個人的ワースト1はマーラーの「千人の交響曲」だろうか。
トータルの演奏は素晴らしかったのだが、ソリスト達のアンサンブルシーンはほとんどカオス状態で、聴き手としては「忍びがたきを忍び」という心境に陥ってしまった。
マーラーはこんなカオスを狙って作曲しているわけではないだろう、と思うのだが。

マーラーは難易度が高いとして、ベートーベンなどの古典でアンサンブルが出来ていないというのは、やっぱり「それってプロの演奏といえるのか」と疑問に思う。

日本で最も演奏頻度が高い曲といえば、間違いなくベートーベンの第九だろうが、第九のソリストの重唱部分もハーモニーが美しく決まった演奏をほとんど聴いたことがない。そんなに第九のソロは難しいのだろうか。

ところが、である。先日、アマチュアソリスト達の第九演奏を聴いた。
なんとアンサンブルがばっちり美しく決まっているではないか。
「なんだ、できるんじゃないか」
なぜアマチュアにできて、プロにできないのか。

ひとつに、件のアマチュアソリスト達は多分、アンサンブル練習の回数をかなり重ねているのだろう。また、彼らは普段は合唱団員なので、歌うにあたってアンサンブル重視の傾向もあろう。

私は芸術においてプロになるのは「選ばれし者」、つまり努力だけでは超えられない資質に恵まれた者であるべきだと思っている。
輝かしい声、美しい声、そして類まれな表現力というのは確かにプロの歌手となる条件だと思う。しかし、プロの歌い手ならば重唱を歌う以上、訓練で出来るはずのアンサンブルもきっちり美しく決めて欲しい。

思うに、少なくとも「ソリスト達があわせるのはゲネプロと本番だけ」という状況ではハーモニーはつくれないのだ。
「いや、プロならばゲネプロと本番のみであわせられるアンサンブル能力を持つべきだ」というような「べき論」は要らないだろう。

現実問題として出来ていないのだから。

こうも毎度毎度アンサンブルが決まらない状況なのだから、その原因を歌手個々人の資質に帰することはなんの解決にもならず適切ではない。

美しいアンサンブルを実現するためにどんな工程を経るべきか。

例えば。

演奏会主催者は、歌手の出演依頼にあたってはゲネプロのみではなく、複数回のソリスト達のアンサンブル練習も条件とする。とか。
これでかなりの程度、改善すると思うのだが。
もちろん、声質のあう、アンサンブルの基礎力のあるソリストをチョイスするのは、主催者の腕の見せ所だろう。

クラシックファンとしてはちゃんと美しいハーモニーが聴ける演奏会に行きたい。
というか、舞台芸術の提供者として、聴衆に毎回のようにハラハラの、あるいは苦痛の時間を提供してしまうようではプロの仕事とはいえないのではないか。

ソリスト達のアンサンブルを養成する仕組みづくりもきっとクラシック業界関係者の成すべき仕事の一つだろう。