アガサ・クリスティ「アクロイド殺し」

アガサ・クリスティの「アクロイド殺し」といえば、言うまでもなく推理小説の金字塔的作品である。
その昔、結末に飛び上がる程の衝撃を受けたのを鮮明に覚えている。

アクロイド殺し (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

アクロイド殺し (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

この小説のなかで語り手が読者に語ることは、すべて事実である。しかし、真実ではない。都合のわるいことは、わざと言い落され、レトリック用語でいうところの「省略(エイプシス)」される。

(中略)

どうすれば、徹頭徹尾事実だけを報告しながら、真実を隠蔽できるか。
嘘はつかないでしかも受け手をだますためには、何を伝え、何を言い落せばいいか。——そういう政治的で邪悪な情報操作に興味をもつ人には、この『アクロイド殺し』がまたとない教科書だろう。
吉田直哉「透きとおった迷宮」)

★★★

幼児ですら「何を話し、何を省略し、聞き手にどういう印象を与えるか」という試行を日常に普通に行っている。

人間が、立場や恐れ、思惑を持っている以上、情報操作は自然と行ってしまうことだ。別段、邪悪な目的を持っているわけではなくても。

多分、ある程度の国の機関や企業なら、この「誰もが日常的に行っている情報操作」を、体系化して高度に研究し、専門家を育成しているだろう。

ただ、情報の受け手が一般市民であっても、あまりに稚拙な情報操作にひっかかるのはいただけない。大体、殊に民主主義国家では、多くの市民がいとも安易に情報操作にひっかかるようでは危険だ。

という流れから「メディアリテラシーを身につけよう」とかいう話も出てくるのだろう。

でも、学ぶというよりゲーム感覚で楽しんで身につけられるリテラシーな気がする。工夫次第で超楽しい授業にできる。こういう課目が学校教育にあったら、学校は楽しくて価値ある場になろう。


アクロイド殺し」のような物語を使って、5W1Hを丁寧に検証する訓練も悪くない。
また、ニュース基準を検証をネタにするなら、受講者は統計や論理力の必要性に開眼せざるをえないだろう。

その手の授業や講習があったら私も受けてみたい。