五島慶太の愛染明王

五島美術館
http://www.gotoh-museum.or.jp/

上野毛駅近くでアクセス良好。小さな美術館だが、とてもいいコレクションを持っている。

そして、企画展も洗練されていて素敵だ。東京で好きな美術館の一つだ。

五島美術館、創立したのは、言わずと知れた東急の強盗慶太こと五島慶太氏だ。

「事業のための私であり、事業あってこその生涯」(「私の履歴書」冒頭)だった多忙な五島慶太氏自身が美術品収集に時間をかけることができたとは思えない。この五島コレクション収集を実質的に手がけたのは誰だったのだろう、といつも思う。

それはともかく。
この美術館で、「五島慶太氏らしい」とニヤリとしてしまうのは、展示室の入り口前に鎮座する愛染明王坐像だ。

愛染明王」とは密教の神で、愛欲などの迷いがそのまま悟りにつながることを示す。外見は忿怒の形をとるが、内面は愛をもって衆生を解脱に導くとされる。
五島美術館 愛染明王坐像の解説)

五島慶太氏といえば艶聞で有名。「私の履歴書」でも自らこう記している。

まず若いころの話。

このころ、精力のハケ口を求めて、吉原とか根岸の菊坂の下の女郎屋とか、浅草の六区‐十二階下の女郎部屋などに、ときどき出入りした。そのころはたしか一円くらいだったと思う。書生の分際ながら、これだけはどうしようもなかったのである。

色狂い。

最後も女の話である。

大体私などの相手にするのは玄人の女であるが、玄人の女に惚れられるのはロマンスグレーにならなければだめだ。なぜかというと、女の欲しいのは金だし、金に惚れるのだから、四十、五十くらいのロマンスグレーになって、女への支払能力が出て来なければ惚れられるものではない。

私など、もう年をとって最近は肉体的にもすっかり衰えてしまったので、惚れられてもみてもはじまらないが、しかし若い女と馬鹿話をしていると、仕事の話や世間の苦労からまぬかれて頭の中が「空」になって来る。そうすると夜熟睡できるので、またあすへの活力が出てくるのである。これが私の健康法である。

とことん下品。強盗慶太、死ぬまで解脱はないだろうよ。

なお、この愛染明王坐像の来歴も興味深い。

仏師運慶の作と伝わる。明治3年(1870年)5月、神仏分離により鎌倉の寿福寺に移され、さらに東京・普門寺に移安の後、伊豆下田出身の政治家小泉朔太郎(1872〜1937)の手を経て清水建設が購入し、五島慶太(1882〜1999)へと贈られた。
五島美術館 愛染明王坐像の解説)

なかなか興味深い流浪をしてきた仏像なのだ。