関東大震災で火災保険は支払われたか

1923年9月1日 関東大震災発生。

さて、関東大震災で火災保険から保険金は支払われたのか。

「当然支払われなかっただろう」と思っていたのだが、違ったらしいことを発見した。

東京海上日動の歴史(東京海上日動ホームページ)
http://www.tokiomarine-nichido.co.jp/company/rashisa/story/history/3.html

当時、(庶民には無縁とはいえ)火災保険は既に販売されていた。
当然ながら地震に起因する火災は補償の対象外。そのことは約款に明記されていた。って、対象外の明記は当たり前である。

しかし、関東大震災で「補償を期待していた契約者たちの不満が高まり、社会問題にまで発展」。

さらに「政府が各保険会社に犠牲的精神の発揮を要望」。

結果、なんと保険金額のうち1割を契約者に支払ったという。

わお。マジかよ。

「損害保険の公共性を考慮した決断だったといえる」と東京海上は評しているが、どうだろう。

その後も日本各地で多くの地震が起きている。
それらの地震では「対象外」で一切支払わなかったのではなかろうか。

関東大震災の被害だけ特別扱い」では保険契約者間の衡平性という観点からは問題があるのでは?

関東大震災が「地震補償を検討する端緒となり、なにがし保険として結実した」のなら「おおっ」と思うが、少なくとも個人の住宅に対する地震補償は1966年の地震保険の創設まで待たなければならなかった。

しかも地震保険田中角栄という政治家主導の制度である。

火災保険を調べていると、今も昔もどちらかといえば「損害保険会社、社会のためにもっと頑張れや」という印象の方が強い。


とりあえず地震補償について言えば、そろそろ民間で「一定の条件を満たした住宅については、全壊・半壊をがっつり補償する」という商品は余裕で提供できるんじゃないかな、と思う。
建築技術はそれだけ進化した。

まぁしかし今は政府再保険地震保険があるから、当面は地震保険を補完する商品となろうが。

1923関東大震災への対応

1923年9月1日に発生した関東大震災により、日本は10万人余りの人命と約100億円の財貨を失いました。その中には火災保険を契約している建物も含まれていましたが、地震に起因する火災については、補償の対象外であることが約款に明記されていました。しかし、補償を期待していた契約者たちの不満が高まり、社会問題にまで発展しました。

政府は各保険会社に犠牲的精神の発揮を要望。しかし、補償の対象外であることはもちろん、損害額が高額であることから支払いは不可能であり、各社とも対応に苦慮することになりました。当時、業界団体のトップだった各務鎌吉は、事態の解決に向けて骨身を惜しまず奔走。さまざまな関係者と協議を重ねた結果、政府から助成金を借り入れた上で、保険金額のうち1割を見舞金として契約者に支払うという苦渋の提案をしました。

約款の解釈を超越した提案は、沸騰する世論を沈静化させるためのものであったと同時に、各務が社会的見地に立ってリーダーシップを発揮し、損害保険の公共性を考慮した決断だったといえましょう。

東京海上日動の歴史(東京海上日動ホームページ)
http://www.tokiomarine-nichido.co.jp/company/rashisa/story/history/3.html

1923年時点の火災保険契約件数、都道府県別の契約件数、居住専用住宅、併用住宅、商業施設等のそれぞれの契約件数がどうだったのか。
機会があれば調べてみたい。