死亡診断書、誰が書くのが適切か

とある介護施設関係者から聞いた話を要約してみる。

介護施設において行われるのは介護。そこは治療の場ではなく生活の場であり、原則、医師の出番はない」

まぁそうだろう。

「しかし医師との連携は必須だ」

それはそうだろう。介護と医療は隣接する、というか完全分離は不可能なくらい密接な分野だし。

「医師と連携していないと何が大変といって死亡診断書。つつがなく死亡診断書を書いてもらえないと警察に連絡がいって解剖とか、ものすごく大変なことになるから、介護施設には医師の存在はとても重要」

そこかい。

「とにかく死亡診断書さえ書いてくれればボケが入りまくった老医師でいい」

おい。

とはいえ実際、介護施設での死亡診断書をめぐるてんやわんやは洒落になっていない。

医師法第20条の問題については既に書いた。
(関連記事:医師法第20条は改正すべき

施設で大往生を遂げた老人の死亡診断書を書いてくれる、もとい、書くことができる医師がいず、警察登場。事情聴取という、普通の人が度胆を抜かれる展開となることは珍しいことではない。


現行、人の死を確認できるのは医師だけである。

しかし現在、医師は大変忙しい。日本には医師は約30万人しかいない(2012年現在)。介護現場に人をさけるほど日本に医師は多くないだろう。

そして。

現実として、生前、ほとんど接触のない医師より、介護施設コメディカル(看護師など)の方が適切な診断ができる場合が多いのではないか。

解決策を考えてみよう。


解決策1)医師を増やす(介護施設にも医師が常駐しているとスムーズ)。

特養にはいつ亡くなられるかもしれない方が大勢おられます。にもかかわらず、いざという時にその死を診断できる医者がいない。「この人たちの命に責任を取れるとは自分だけだ」という気概を持っている医者がいないというのは実にさびしい限りです。
 病態の把握、治療法の選択、それに伴う合併症の推定、臨床的判断ができるのは医者だけです。医者というのはそれだけの裁量を託された存在です。医者が自分の仕事に忠実であることは、その責任において非常に重要なのです。
(石飛幸三「「平穏死」という選択」

死亡診断できるのは医師だけだ。しかし、医師になるには医学部に6年も通わねばならない。
医師が高度な専門職であることは認める。

だが、例えば死亡診断はそこまでコストをかけないと出来ない職務なのだろうか。

医師資格取得のハードルを下げるのも一つの方策だ。

例えば基礎となる医師資格は4年でとれることとして医学部を増やし医師を増やすというのも一つの方法であろう。
4年で医師基礎資格、6年で認定医資格がとれるとか。

解決策2)特定の条件を満たせば看護師などが死亡診断書を書くことを認める。

例えば70歳以上については、一定の勤続年数や研修、試験を受けるなどの要件を満たした看護師が死亡診断書を書くことが出来る、とか。

認定看護師制度に死亡診断も追加してはどうか。


★★★

日本の医師は、2012年現在で約30万人。
(出典:平成24年(2012年)医師・歯科医師・薬剤師調査の概況(厚生労働省))
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/ishi/12/

看護師(就業者)は、2012年現在で約106万人。
(出典:日本看護協会
http://www.nurse.or.jp/home/publication/toukei/

この106万人には准看護師は含まない。
これは私が准看護師制度は可及的速やかに廃止すべきと考えるからである。
准看護師の教育時間はいわゆる正看護師と比べあまりに少なすぎる。これでは看護師の品質保証が出来ない。

医師会が准看護師廃止に反対しているが、医療現場のレベル向上という公益を考えれば、准看護師制度廃止反対などありえない。
医師会には「仕事のパートナー(看護師)はもの知らずな方がいい。その方がいい加減なことをしてもばれないから」という考えがあるだろう。

准看護師を雇っている医師は自分の能力に自信がない場合が多いという説を聞いたことがあるが、恐らく正しい。

「準看護師を雇っている医療機関は避けた方がよい」というのは患者(利用者)が確実に使える指標だ。

医師の唯我独尊状態の防止、暴走の歯止め、適切な医療が行われているかのチェック体制のためにも周囲のコメディカルの質が高くなければ。

そう。死亡診断書が書けるほどに。