同和教育について

数年前、会社関連で「人権研修」なるものを受講させられた。

部落解放同盟の講師が、部落差別の概要や最近の差別意識アンケート結果を一方的にしゃべって終わるという、実に内容の薄い研修であった。
私が驚いたのは、「同和って何?知らない」という20代、30代がいたことであった。つまりこの研修により、部落差別の存在を知った人もいたことになる。

結論から言えば、あの人権研修(同和教育)は最悪だったと思う。あんな研修で部落差別はなくならない。むしろ差別が助長される。
「かつて部落差別というものがありましてね」「差別はやめましょう」→(受講者)「そうですね。分かりました」なんて話になるわけがない。

「へー、部落差別なんてものあるんだ」「自分の住んでいる地域にもあるのかな」「調べてみよう」(←もちろん興味本位)となるのが自然だ。

「黙っていればそのうち被差別部落なんてものは忘れ去られるだろう。同和教育など必要ない」「寝た子を起こすな(同和教育などで部落差別を再燃させるきっかけをつくるな)」という意見を持つ人は多い。
確かに「あの意義薄い研修をやること」と「何もしないこと」の二択であれば、「何もしないこと」の方がましだと私も思う。

穿った見方をすれば、あの部落解放同盟の講師は、本心ではむしろ「部落差別の継続」こそ望んでいるのではないか。「同和で食べている方々」にとって差別は存在し続けてもらわないと困るものになっていないか。
あの研修で支払われた講師料はいくらだったのか。今でも気になっている。

しかしながら私は部落差別というものに関する教育は必要であると考えている。
部落差別およびそれに類似する差別は、世界でも歴史上でもありふれた差別だ。
「部落差別」は知らなければ起こらないものでも無くなるものでもない。部落差別は簡単につくることができるし、野火のように広がることがある。部落差別に抗するすべを知らない社会は非常に危険だ。

★★★

記憶に間違いがなければ、私は小学、中学、高校と学校教育の全過程で同和教育を受けている。

思い返せば、市役所の正面に部落差別関連の標語が掲げられていた気もするし、市役所に「同和対策課(?名称はうろ覚え)」があった記憶もある。今調べてみたら、該当の課は既になかったが、いまだに市では同和事業が継続していた。いまだに同和事業などというものが継続しているということは、行政の無能と利権の存在を暗示というより明示しているとしか思えないのだが、それはともかくとして、歴史的にがっつり部落差別のある地域だったことは間違いなかろう。

といっても私個人は「あの人は…」「あの地域は…」という話を見聞したことはない。ましてや島崎藤村の「破戒」に描かれるような部落差別にもとづく集団リンチ場面を目撃したこともない。同和教育はそれなりに効果を上げていたといえるかもしれない。

私が受けた同和教育はどのような教育であったのか。

小学校で1学年全員が体育館に集められ、文部省制作(または推薦)の映画を鑑賞させられたのが最初の同和教育だった。

映画で理不尽な差別に苦悩する主人公の少年は、眉目秀麗で、その能力、性格など、非の打ちどころのない人物として設定されていた。
この設定は、「部落差別という根拠なく理不尽な差別に対する憤り」を解りやすく伝える手法として悪くはないかな、とは思う。
実際に、どう見ても能力が高く、資質に恵まれた人材が、部落差別ゆえに進学ができなかった、職を辞さざるを得なかった、結婚できなかった、人生の可能性を閉ざされた、などという理不尽で悲しい事例は全国にあったわけだから。

しかし現実には「被差別者は無垢で美しい存在」ではない。
被差別者は、あくまで通常の人間である。怠惰だったり、支離滅裂だったり、ひねくれていたり、被差別者であると同時に他の差別要素を持つ者に対する激しい差別者であったり、非の打ちどころがありまくる人間であるのが通常だ。
この映画による同和教育は、同和教育のとっかかりとしては悪くないが、これで終わってしまった場合、現実に「非の打ちどころがありまくりの被差別部落出身・在住者」に出会って、その人物と被差別部落とを結びつけた批判を聞いた場合に「部落差別は当たり前のことだ」と肯定してしまう可能性が高いのではないか。

★★★

私が納得した「同和教育」は、中学校の社会科の授業だった。
ちなみに同和教育という枠ではなく通常の社会科の授業の中で行われたと記憶している。
それはこんな内容だった。

・・・・・・・・・
江戸時代、幕府は士農工商の下に穢多(エタ)・非人という階級を設けた。それは以下の政治的な意図に基づく。
「百姓は生かさず殺さず」(By徳川家康)という言葉に端的に表されるように、為政者からみて農民は搾取の対象であった。どう考えても不当に搾取しまくりの武士という支配者階級(人口の1割程度)に、人口の大部分を占める農民(人口の8割程度?)の不満が向かないように、穢多・非人(穢(けがれ)が多い、人に非ずという、という名前からしてどうかしている)被差別階級がつくられた。
為政者による「ほれ、お前ら水のみ百姓より悲惨な境遇の奴らがいるだろ。お前らの境遇は恵まれてるやないかい(過剰な搾取も我慢せい)」という目くらましであり、また、「俺ら(支配階級)に逆らったら、あの悲惨な境遇に落としてやるぞ」という脅しでもあった。

被差別部落とはつまり、人口の大多数を占める被支配階級のガス抜きのために人為的につくられた見せしめ的立場にあった人たちの集落である。なお、差別強化のためにあえて様々な悲惨を背負わされたりもしている。
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この知識を踏まえたうえで部落差別などできるだろうか。*1

部落差別をするということは、「いまだにえげつない政治意図に嵌められて踊らされている愚者であり続ける」ということを意味するのだ。



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*1:穢れ意識に基づく差別は江戸時代以前からあったにせよ、それを政治的に大々的に利用したのは江戸幕府である