うつくしいのはら

西原理恵子「うつくしいのはら」。僅か12頁の短編である。

営業ものがたり

営業ものがたり

「営業ものがたり」の帯には「サイバラ、生涯の最高傑作”うつくしいのはら”収録」と書かれている。
むしろ「うつくしいのはら」は日本文学の最高傑作だと私は思う。
世の中には様々な観点があるから、最高傑作は複数あってもいい。

この作品、「PLUTOによせて」となっている。西原氏は浦沢直樹の「PLUTO」について「だいたい いつまで読んでもまざんねえ交響楽みたいなまんが、かきゃあがって。あたしだったらぴゃーとかいてしゃーっとおわらせるよ」と言っている。
交響楽のように構成された作品は浦沢氏が得意とするところだ。それは西原氏にはない才能で、だから西原氏は浦沢氏をことのほか高くかっているように感じる。

しかし。
「天才は、凡人の数百ページを軽々と凌駕する」。
「うつくしいのはら」の読後、そんなフレーズが頭をよぎった。

反論が瞬時に浮かぶ。

勿論、浦沢直樹は凡人ではない。
例えば「Monster」は「そうか、日本の才能は漫画に流れているのか」と漫画に開眼させられた、私にとって記念碑的作品だ。

「軽々と」も違う。「うつくしいのはら」の前段に散々書き上げるまでの苦労について書かれている。

それでも頭をよぎったフレーズの鮮烈な印象は残存したままだ。

貧困や戦争、暴力の悲惨から抜け出すために必要なものは教育。それは特別な見解ではない。しかし。

ねえ おかあさん
ぼくたちは
いつになったら
字をおぼえて
商売をして
人にものをもらわずに
生きていけるの。

わからない
それは誰にもわからないの。

でも次にうまれて
ひとになるために
一つでも多くの言葉を
おぼえましょう

そして物語は美しい祈りに昇華してゆく。

「うつくしいのはら」、出来れば単独で本になって欲しいところ。
電子書籍、というのもありか。