1990年以降の力士の死亡例をみる

2007年の時津風部屋暴行死事件で確実に言えるのは、遺族の強い意志と行動力がなければ「病死」として処理され発覚しなかっただろうということだ。

さらに言えば、ことに昭和の時代であれば、遺体に酷い暴行跡をみても「仕方ない」と思うだけの家族もいたかもしれない。また、部屋住みの新人力士に家族がいない場合、あるいは全く頼りにならない家族しかいない場合もあったろう。

これまで発覚しなかった殺人や傷害致死が存在する可能性は極めて高い。
参考までに、現役力士の死亡例はどのくらいあるのだろう。あったのだろうと思ったら、Wikiにこんな記事があった。

「現役中に死亡した力士一覧」

すべての死亡例を記載しているわけでもないだろうが、参考にはなる。
1990年以降の死亡例をみてみる。

1990年7月23日 19歳 心不全(急性心不全九重部屋
1992年2月10日 18歳 水死(朝稽古後の入浴中に意識を失い溺死)朝日山部屋
1992年3月1日 24歳 心不全(急性心不全・肥大型心筋症)佐渡ヶ嶽部屋
1992年7月14日 15歳 心不全心筋梗塞)放駒部屋
1996年10月21日 25歳 心不全 宮城野部屋
1998年3月10日 30歳 肺出血(汎血球減少症による)高田川部屋
2003年7月17日 15歳 心臓病(心臓肥大による拡張性心筋症)北の湖部屋
2004年8月7日 17歳 多臓器不全(髄膜炎による)田子ノ浦部屋
2004年10月16日 32歳 心不全(虚血性心不全貴乃花部屋
2007年6月26日 17歳 ショック多発外傷による外傷性ショック死(時津風部屋力士暴行死事件)時津風部屋
2008年12月15日 25歳 急性骨髄性白血病 間垣部屋

特定の部屋に死亡者が集中している可能性を考えたがそれはなかった。見事に部屋はばらばらだ。

疑惑の目を向けてしまうのは、警察の死体検案がザルだったという事情に加え、2007年6月におきた時津風部屋暴行死事件の際に、相撲協会は毅然とした対応をとらなかった、というか、むしろ隠蔽やごまかしの意図のみえる対応がみられたからだ。

例えば、暴行死が大々的に報じられるようになる少し前の2007年8月24日に「いつどういう事故が起こるか分からない」としてAEDを全53部屋に配布すると発表したのもそのひとつだ(2017年8月25日「全相撲部屋にAED。」日本経済新聞)。

暴行死は「事故」じゃないし。相撲協会、8月の時点で激しい暴行があったことは知っていなければおかしいのにこの対応。

それでも2009年以降、力士の死亡例の記載がないのは、相撲界の現場が改善されているからだと思いたい。
2007年の傷害致死事件発覚の後、2010年には大勇武龍泉による暴行罪での被害届の提出と損害賠償を求める訴訟があり、2011年には鳴門部屋で弟子暴行等が告発された。
これらによって徐々に相撲界の近代化はされてはいるのだろう。

大抵、傷害致死の前には何回もの傷害事件があるだろう。「初めての暴行」で死亡にまで至るケースは稀なはずだ。傷害致死があるならば、傷害致死に至らない暴行傷害事件の数は相当数にのぼるだろう。そうした暴行で心身に後遺症が残る人もたくさんいるはずだ。

「ビール瓶や金属バットやゴルフクラブで人を殴ってはならない」「集団暴行はやってはいけないことだ」と認識は変わっただろうか。

「相撲とは、スポーツと格闘技の要素がある興行であり芸能である」と私は思う。
暴力を肯定する必然性は特にない。

いくらなんでも21世紀にもなって暴力肯定はないだろうよ、という話である。

その上、日本相撲協会は2014年から公益財団法人になってる。公益法人が暴力肯定はさらにあり得ない。

相撲業界で暴行傷害事件がおきてしまうこと自体はやむを得ない。
もともと暴力的だったり暴力と親和性の高い背景を持つ人が多く、長年暴力的だった業界だ。10年で「まったく傷害事件が起こらない」ほどがらっと変わることは難しいだろう。

でも暴力の容認は許されない。「暴力を肯定しない」姿勢を明確にすることは公益財団法人として必要なことだろう。

暴行を受けたら、警察に届け出ることにより「暴行傷害は刑罰の対象ですから」ということははっきりさせるべきなので、「暴行を受けたら警察と病院へ」というのは常識だ。


「暴行を受けたらすぐに警察と病院に行こう」「暴行は許されざること」というのは、相撲協会がはっきりと明言せねばならない。

それが出来ないのに公益法人であり続けることは不適当だ。

今後、果たして相撲界は暴力を否定して近代化できるのか。できないのなら滅びた方がいい。