日劇と映画の近年を振り返る

2018年2月4日、有楽町の日劇が閉館した。
今回閉館した「日劇」は、1984年にオープンした有楽町センタービル有楽町マリオン)内の映画館3館だ。

長年、「映画館」と聞いてまっさきにイメージするのはここ日劇だった。日本における映画館の代名詞的な存在だったと思う。

日劇閉館に際して掲げられていた「日劇、その歴史を振り返る。」という展示が、映画館の鑑賞システム変遷の歴史も含んでいて興味深かった。


日劇の歴史をかいつまんでみてみる。

1985年(昭和60年)
10月、コンピューターによるチケット売上管理システムを日本の映画館で初導入。

逆に1985年まで完全手管理だったわけだ。それまでは相当などんぶり経営だっただろうと想像する。

1991年(平成3年)
4月13日、NTTデータ通信と東宝の共同開発による指定席・前売券コンピューター管理システムを日本の映画館で初導入。

NTTデータといえば、公的機関や金融系のシステムを手掛けている会社というイメージがあるので、映画の管理システムを手掛けていたのは意外な歴史だ。
あと、1991年時点で指定席があったというのは「さすが東京の大映画館」という感じだ。

1993年(平成5年)
「映画館の公的規制の緩和」措置が進み、日本の映画興行にシネコンが初登場。

この初登場のシネコンというのは、現在の「イオンシネマ海老名」のことのようだ。
イオンシネマ海老名は7スクリーン1874席。当時、海老名でそれだけの集客は難しいので失敗するだろうと予測されていたようだ。
しかし、その予想は見事に覆される。シネコンという経営形態は予想を超えて優秀だったのである。

2004年(平成16年)
全席指定席制に移行。

映画館が「一般市民が安心して楽しめる健全な娯楽施設」としての地位を確立するには、この「全席指定席制」が不可欠だったと思う。

昭和のころ、あるいは全席指定席制以前、映画館と聞いて連想するものの1つが「痴漢」だった。
痴漢は被害者を物色して狙いをつけて犯行に及ぶ。
しかし指定席制なら被害者を物色することができない。指定席制によって映画館から痴漢が追放された。
痴漢が追放されたことで館内の雰囲気も健全なものになった。

あと、立ち見リスクや観やすい席確保のストレスからの解放も大きい。
映画鑑賞が、優雅というか快適な娯楽であることを「全席指定席制」が担保した。

2009年(平成21年)
「vit」や「シネマイレージ」など、TOHOシネマズ統一のサービス制度を導入。

インターネットチケット販売(vit)は2001年12月にスタートしている。
「インターネットによるチケット販売が飛躍的に増え始めたのは2003年のはじめ頃」だそうだ。しかし日劇で導入されたのは2009年。2009年まで導入しなかった、あるいは導入できなかった理由は何なのだろう。

多分、日劇のような既存映画館では発券機の置く場所の確保が難しかったというのも理由の1つかもしれない。
日劇では少ない発券機に長蛇の列ができていた記憶がある。

「映画に行くなら予めインターネット予約」というのはいまや常識レベルに当然となっている。
「映画館に足を運んだが満席で無駄足になってしまった」なんて、かなりがっくりくるしアホくさい体験だ。

ただ、今の「vit」システムは、将来は更にスマートに進化するだろう。例えば、現行のvitは、インターネットでチケット購入をしても現地で紙のチケットを発券しなければならず、その発券に少々時間がかかる。
映画館側としてもチケット発券機を置くスペースの確保は負担なはずだ。

紙のチケット発券と、入場時のスタッフ(人間)によるチケットの目視確認という今の仕組みは、近い将来、変わるのではないだろうか。

さて、次の大きな変化はいつなのか。どう仕組みが変わるのか。とても楽しみだ。


【参考】
NTTAT「導入事例 TOHOシネマズ株式会社」(2018年4月閲覧)
https://www.ntt-at.co.jp/product/web-as/pdf/WebAS_case_TOHO_161206.pdf

TOHOシネマズ株式会社「沿革」
https://www.tohocinemas.co.jp/company/history.html