映画「スポットライト 世紀のスクープ」

トム・マッカーシー監督「スポットライト 世紀のスクープ」(原題:Sopt light)。

http://spotlight-scoop.com/

2002年1月、「ボストン・グローブ」紙が、特集記事欄「スポットライト」で衝撃のスキャンダルをスクープした。
カトリック教会が、数十人もの神父による児童への性的虐待を組織ぐるみで隠蔽していたのだ。

発端となった「ゲーガン事件」は、あまりに被害者数も多すぎ、野放しになっていた期間も長すぎる。
ゲーガン神父が児童への性的虐待で最初にボストン警察署に拘留されたのが1976年。しかし、カトリック教会は事件をもみ消す。ゲーガンは30年近く児童への性的虐待を繰り返していた。

このスクープの肝は、「カトリック教会によるスキャンダル隠蔽」だ。カトリック教会は、性的虐待の被害を握りつぶし、加害者を「児童への性的虐待の常習犯と分かっていながら」、聖職につけ続けた。

「組織に焦点を絞ろう。個々の神父ではなく。熱意と用心深さで、教会の隠蔽システムを暴け」(ボストン・グローブ紙 マーティ・バロン)

「我々の狙いは教会だ。全体像を暴け。でないと再発を防げない」(スポット・ライトチーム ウォルター・ロビンソン)

印象に残ったことをいくつか記す。

1.司祭(神父)は、「児童への性的虐待」をしやすい立場
カトリック教会の神父様」と言えば、地域社会で絶大な信頼と権威を得る。教会活動で子どもへ接触すること、子どもと2人きりになる機会をつくることが容易な立場だ。カトリック教会関連の孤児院、学校なども多い。

そして、周囲の人々には「まさか神父様がそんなこと」という信頼というか思い込みがある。人は信じたくないものは見えない傾向がある。子どもの様子がおかしかったり、子どもから訴えがあったとしても「そんなことあるわけない」と一蹴してしまった親や周囲の大人も結構いるのではないか。神父による性的虐待は、どう考えても発覚しにくい。

2.被害者は「美少年や美少女」ではなく「弱い立場の子」
「標的は同じタイプの子どもだ。貧困、父親不在、家庭崩壊。ゲーガンは好みの子というより、羞恥心が強く、寡黙な子を選んだ」(マイク・レゼンデス 「スポットライト」チーム)

ばれにくい子、つまり、守られる環境にない子である。二重にも三重にも「弱者」の子どもを餌食として選んでいる。この狡猾さ。人として本当に下劣だ。
「性犯罪」とは「そういうもの(弱者を狙う卑劣な犯罪)」とは知っているが腹が立つ。

弱者の味方であるべき、あるいは、弱者の最後のよりどころであるべき「聖職者」と考えたとき、この部分が一番、腹が立つ。

3.同一の司祭による繰り返される性犯罪を防ぐのは組織(カトリック教会)の責任
「私の予想では、神父全体の6%が小児性愛者だ」(リチャード・サイプ かつて、教会の“療養施設”で働いていた元神父。30年におよび神父の性犯罪を研究してきた心理療養士)


虐待を疑われる神父は「病気療養」や「休職中」などの名目で、短期間のうちに異動を繰り返す。
スポットライトチームが教会の公式年鑑でボストンにおける「疑惑の神父」を洗い出したところ、その数、なんと87人。6%に近い数字なのだ。
6%はあまりに高すぎて衝撃的な数字だ。

しかし、率直に言えば、「神父による児童への性的虐待」をゼロにすることは不可能だろう。
神父とはいえ、ただの人間。そして、人間のうちの「誰が子どもに性的虐待をするような輩か」なんて、見抜けない。

映画の中で、子どもへの性的虐待を行った司祭(元司祭?)に記者がインタビューするシーンがある。
司祭役がいい。一見、いかにもピュアで善良そうな人物なのだ。実際、こういう加害司祭が沢山いただろう、と思う。

でも、「(同一犯罪者の)再犯は防げ」という話である。性犯罪の再犯確率が高いことはよく知られている。「あいつ、またやる」と分かっていながら、神父として任命し続けたカトリック教会こそが、まさに「性犯罪の加害者そのもの」だ。

ゲーガン神父の件で言えば、最初に拘留された時点で、隠蔽ではなく、しっかり事実調査をして処分を行えば、その後、100名以上の被害者を生むことはなかった。
「性犯罪者を、神父などという権威ある地位につけるな」。

神父の性犯罪が発覚した場合、カトリック教会は金の力、有能な弁護士による対応など、権力を使いまくってでもみ消してきた。処分が異動では、むしろ積極的に性犯罪助長だ。異動先で新たな被害者を生むことは分かり切っている。

性犯罪を幇助、黙認、支持し続けたカトリック教会こそが最も罪深い。


★★★

2006年、ベネディクト16世は、今後は児童への性的虐待について厳正に処断することを宣言した。
現在のフランシス教皇は、問題について、教区で内々に処理せず、バチカンに報告するよう通告している。
これだけの注目を集め、非難を浴び、さすがにカトリック教会の組織的隠蔽は正される方向にはあるだろう。

でも、今後の対応について疑問もある。

1.どのように児童への性的虐待を防止し、冤罪を防ぐのか。
明らかな前科者について、司祭の資格はく奪するのは、当然だ。
ただ、性犯罪は立証が難しい。また、子どもも含め、人間は嘘をつくし、妄想と現実の区別のつかない人間、記憶がナチュラルに改ざんされる人間も多い。
冤罪を防ぎ、かつ、性的虐待を防ぐには、それなりの体制整備が必要だろう。
教会関連施設の要所要所に監視カメラの設置が必要かもしれないし、また、子ども達の「逃げ場」も必要だろう。特に庇護者のいない子どもがターゲットにされやすいのだから、カトリック以外に対し、SOSを発信できる体制整備が必要なのではないか。

2.カトリック教会は、性犯罪者はどう処遇するのか。
性犯罪者を、権威ある司祭職につけることはあまりに不適切だ。解職および聖職はく奪は当然にしなければならない。

でも、性犯罪は立証が難しい。被害者の訴えだけであれば冤罪の可能性もある。
性的虐待が「疑われる」というだけの状態の司祭の処遇はどうするのか。

また、明白に有罪の場合も、「カトリック教会関連から完全追放」とするべきなのか。
それとも、聖職ではなく、かつ、子どもとは、一切接触を持たない職(ポジション)への異動は「あり」とするのか。


2010年代のカトリック教会の体制や対応を取材した記事を見ていたい。