明治村の建物たち

一度行ってみたかった博物館明治村。日本で、これだけ貴重な歴史的建物が集まった場所は他にない。
木造建築が主で、大火の頻発した日本は、「建物は消費財」という意識が根底にあるせいか、どんなに美しく歴史的価値ある建物も、割とがしがしと壊してしまう。それに抗ったのがこの明治村だ。1965年にオープンしてから、数々の名建築を消失から救っている。

建物博物館は、どう考えても膨大な維持管理コストがかかる。にもかかわらず、この明治村を開園し維持してきた名古屋鉄道には頭が下がる。

さて、ようやっと明治村を来訪した。

明治村にあるのは、当然、すべて、美術的、歴史的に大変価値ある建築ばかりなのだが、特に印象的だったものを記しておく。


■聖ザビエル天主堂
http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/5-51.html
建築年代 1890年(明治23年) 旧所在地 京都市

数ある建造物の中でも、「最も美しい」といったらこの聖ザビエル天主堂なのではなかろうか。
白亜の外観もさることながら、建物内の木彫の温かみと、ステンドグラスの美しさがとにかく絶品。内部に足を踏み入れた瞬間、あまりの美しさに魅了されて、一瞬でキリスト教入信を決意した人もいただろう。

(後ろから見た天主堂)

■西郷從道邸
http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/1-8.html
建築年 1877年(明治10年) 旧所在地 東京都目黒区上目黒

西郷邸、プライベートな邸宅かと思ったら、全然違う。私邸ではあるものの、外国の外交官接待用の、完全に公的な役割を担った邸宅だ。

「日本はこんな立派な洋邸を建てられる文明国ですよ」アピール。日本三景を描いた暖炉飾りとか「日本はこんな素晴らしい国ですよ」アピール。この涙ぐましさ、まさに明治。最も「明治がどんな時代だったのか」を感じる建物だ。
この建物が担った役割とか歴史的価値は脇においても、この西郷邸、建物としても素敵だ。フランス人技師レスカスの設計の木造洋館。
一押しは、階段。優美だが、昇りやすく降りやすい。西郷邸の階段はぜひ昇るべき。感動する。



■東松家住宅
http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/2-18.html
建築年 1901年(明治34年)ごろ、旧所在地 名古屋市中央区船入町

江戸時代以来の伝統工法でつくられた町家である。江戸末期に平屋だった建物が、増改築の末、3階建ての木造建物となったという。
江戸時代は、武家以外が3階建ての建物を造ることは許されなかった。大正8年市街地建築物法で木造高層住宅は禁止された。というわけで、3階建て以上の木造住宅が建てられた期間は約50年。

床の間の立派さが、江戸期の1階と明治期の2階で違うのも注目だ。江戸時代、どんなに富があっても、武家でないと許されないことが沢山あった。時代の変化を刻む住宅だ。

町家としては、今まで見た中で最も豪勢だ。
かつて、運河堀川に面していて、間口が狭く奥行が深い。土間から3階までの吹き抜け。2階は茶室。露地にみたてた廊下とか、東松家は相当な風流人が主人だったのだろう。

階段の下の収納は見事。このつくりはいい、と思う。
でも、階段の昇降しにくさときたら。怖いくらいだ。日本家屋って、人間にとっての快適性の追求がないんだよなぁ。そりゃ、人間工学という考え方のある西洋住宅に魅了される。ここでひと際、西郷邸の西洋階段の魅力が輝いてみえる。

■坐漁荘
http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/3-27.html
建設年 1920年大正9年)、旧所在地 静岡県清水市沖津町

西園寺公望の別邸。家は人をあらわす、という側面もある。坐漁荘、「西園寺ってジジイは、かなり性格悪かったんだろうな」というのが個人的感想だ。

「ひっきりなしに政治家の訪問を受ける」のに、わざわざ静岡県清水市なぞに別邸を建ててそこまで足を運ばせるとか、待ち人をひたすら待たせる部屋にトイレと飲み物という最低限の備え付けしかないところとか、皇族(華族?)専用玄関とか。
「坐漁荘はパワハラの道具として有効に使われてた」感が強くにおう。

興味深いのは、最初、純和風の粋を凝らした建物を建てたものの、1929年(昭和4年)、洋間や洋風便器の置かれた便所が増築されたところだ。
居住性で、断然、日本家屋より洋邸に軍配があがる、ということだ。


■芝川又右衛門邸
http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/3-68.html
建設年1911年(明治44年)、旧所在地 兵庫県西宮市上甲東園

かつて、果樹園の中に建っていたという豪商の別荘。武田五一の設計。壁も窓も凝っていてセンスがいい。でも、一見すると洋館のようでいて、実は和洋折衷というか、洋と和の融合というか、建てた人、住む人の感性が今とは違う部分がおもしろい。やはりこれは明治ならではの建築だ。


■宇治山山田郵便局舎
http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/4-46.html
建築年 1909年(明治42年)、旧所在地 三重県伊勢町岩渕町

なんてかわいい。こんなお洒落でかわいい郵便局舎、町の自慢だったに違いない。ドーム型の屋根。中の「公衆溜」と呼ばれるホールも素敵だ。設計、監督ともに、逓信省逓信技手。

■金沢監獄中央看守所・官房、金沢監獄正門
http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/5-62.html
http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/5-52.html
建設年 1907年(明治40年)、旧所在地 石川県金沢市小立野

建物博物館に監獄建築はかかせない。金沢監獄は、洋式の放射型監獄舎房。実際に監視室あたりに立つと、感嘆してしまう。そして、「監獄の目的、社会的役割ってなんだ?」という壮大なテーマが頭をめぐる。

■帝国ホテル
http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/5-67.html
建築年 1923年(大正12年)、旧所在地 東京都千代田区

言わずと知れたフランク・ロイド・ライトの有名建築である。この帝国ホテルがみたくて明治村を訪れる人も多いだろう。
なんと関東大震災当日に開業。1967年(昭和42年)に建て替えられた。
総面積34,000㎡の大建築のうち、辛うじて残存しているのが、この中央玄関とメインロビー。


★★★

明治村、ハワイ移民集会所やブラジル移民住宅など、移民関係の建造物も保存しているし、赤十字、清水医院(町場の医院)、北里研究所などの病院施設も興味深い。

明治村、2日かけても、すべてはまわり切れなかった。改修中の建物もあったし。また再訪しよう。

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2016年4月30日「明治村攻略メモ」