ヴィヴィアン・マイヤー

ヴィヴィアン・マイヤーは、歴史に残る優れた写真家だ。

セルフポートレートに見るような、鏡や影や光を利用した、おもしろくて、お洒落で芸術的な写真もいい。

が、何といっても「路上における市井の人々のポートレート」という分野で、彼女を超える写真家は滅多にいないのではないか。

彼女の写真は、被写体を喜ばすことを意図していない。また、女性のポートレートでは、女性の幻想的な美しさを追求する写真でもない。
何かむき出しの「その人の内面にある何か」を切り取りたい、という、いわば、リアリズムを追求した写真たちだ。

日本で最も有名な写真家と言えば、土門拳だが、彼女の「撮りたいポートレート」は、土門拳のそれに近いように思う。
そして、人物写真については、断然、土門よりヴィヴィアン・マイヤーの方が優れている、と私は思う。

ヴィヴィアンは、二眼レフカメラを愛用した。二眼レフは撮影者の目の位置とレンズの位置が離れる。「この二眼レフというカメラだからこその写真だ」と感じる作品が多い。

大抵の写真は、撮られている人物が写真を撮られていることに気が付いている。撮影者であるヴィヴィアン・マイヤーとの間にアイコンタクトは絶対にある、という写真が多い。

路上の他人とこれだけ距離を詰められるのは、一種の才能だと思う。これは出来る人はほとんどいないだろう。少なくとも私には絶対できない。

また、事件現場を撮った写真や交通事故現場を撮った写真もある。こういう現場は、普通は報道関係者という肩書があって初めて堂々とカメラを向けられるものではないのか、と思うのだが、そういった肩書もないにもかかわらず、ヴィヴィアンは堂々と、警官に引きずられる男性や、ケガをして運ばれる事件の被害者などにカメラを向けている。

特に印象的なのは、子どもが交通事故にあった際の写真だ。子どもや駆け寄る母親の、これ以上なく動揺した表情をとらえている。確かに人物写真として素晴らしいかもしれないが、普通、このシーンでカメラを向けられるだろうか。これ、普通の人には絶対撮れない写真だ。決してよい意味ではなく。

あえていえば、「彼女は報道カメラマンになればよかったのに」と思う。


なお、彼女の写真で、最もロマンティックで抒情的な一群は、ゴミ箱の中身を撮った写真だ。
捨てられた人形とか。ああいう被写体をロマンティックに撮りたいと思う人は割といると思うが、実際にそう撮れる人は少ないのではないか。

誰もいない街の風景も構図が秀逸だ。あと、光と影の撮り方が上手い。

ヴィヴィアン・マイヤーの写真は、公式サイトで見ることができる。

Vivian Maier
http://www.vivianmaier.com/

★★★

ヴィヴィアン・マイヤーは、1926年に生まれ、2009年に没している。生前、まったく無名の存在だった。それどころか、1枚も写真を発表しなかったし、カメラ関係や報道関係の仕事にもついていなかった。

彼女は、一生、乳母(ナニー)を職業として過ごした。

それでありながら15万枚以上の写真を残している。

乳母は高い賃金が得られる仕事ではない。
ヴィヴィアンは、家庭的にも恵まれていない。両親は離婚し、兄弟含む親戚とも疎遠だった。
ヴィヴィアンが貧しかったことは確かだ。
そんな境遇で、15万枚以上の写真が撮れるほどカメラフィルムを買うことができたことにちょっとびっくりする。フィルムは安くないのに。

ヴィヴィアン・マイヤーの写真技術は、明らかに素人のものではない、と私は思う。
どこで、あるいは誰から写真の技術を習得したのか。

15万枚以上の写真、発表しなかったにせよ、「見せる誰か」「評価する誰か」は本当に存在しなかったのだろうか。

指導した人や、評価する誰か。人生のどこかの段階で、実在としては失われてしまったのかもしれないが。「他者(評価者)の目線」なしでこれだけ多くの作品を撮れたとは思えないのだ。

周囲の人々は「彼女は変わった人だった」と証言している。ひょっとすると、治療が必要な精神疾患を抱えていた可能性もあるかもしれない。
しかし、同時にある種の魅力を持つ人でもあっただろう。そう思わせる写真を彼女は残した。

ほとんど現像されず、ネガのままで残されたこれらの作品。
破棄されず、広く公開されることになったのは、本当に僥倖だった。

ジョン・マルーフ監督「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」

ヴィヴィアン・マイヤーを探して [DVD]

ヴィヴィアン・マイヤーを探して [DVD]