ベルリン・フィルとナチス
世界最高のブランド力を誇るオーケストラといえば、きっぱり「ベルリン・フィル」と言い切れる。
知名度、実力の2つの観点から総合してみて、断トツの最高ブランドだ。
ドイツは音楽の国だという。かつて、リヒャルト・ヴァーグナーは、音楽の前では文明も太陽の前の霧のように消え去ってしまう、と主張したそうだ。
正直、私には文意がよく理解できないのだが、ドイツ人の音楽への深い愛着はうかがい知ることができる。
さて、そんなドイツの至宝、ベルリン・フィルの過去が興味深い。
(以下、引用はミーシャ・アスター『第三帝国のオーケストラ』による)
すでにナチ時代の前に、国純主義的なイデオロギーがヨーロッパを文化的戦場への変えてしまっていた。しかもその文化的戦場では、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団がドイツの旗を掲げていた。
このオーケストラがフランスへ演奏旅行に行ったときには、文化的に優位と思いこんでいるフランスの幻影を打ち砕くことが求められていた。
おもろい。「ベルリン・フィルはドイツ最良のプロパガンダの道具」。政治的存在なのか、ベルリン・フィル。
で、あからさまなフランスへの対抗意識。
もちろん「フランスより上」と主張するにはそれだけの実力を示さねばならない。
フルトヴェングラーは、「わが国のオーケストラ芸術のレベルの高さを、ドイツのみならず、全世界に示さなければならないベルリン・フィルについては、何よりも能力主義が重視され続けなくてはならない」と手紙に書いている(1933年5月)が、それには、こうしだ背景もある。
「白いネコでも黒いネコでも、ネズミをとる猫がよいネコだ」とは、訒小平の言葉として有名だが、音楽におきかえれば、「ユダヤ系でもパレスチナ系でも、はたまた、南米系でもアジア系でも、よい音楽を供することができる音楽家が、よいオケのメンバーだ」となる。当然だ。
しかし、国粋主義が極まれば、こうした能力主義を維持することは困難となる。
1934年にはベルリン・フィルは公式に、唯一の出資者が国という有限会社の形式で帝国オーケストラとなり、楽団員は公務員となった。
その後2年のあいだに、最後まで残っていたユダヤ系の演奏家たちが、上からの命令というよりは、自分たちがなすすべもなく直面させられていた嫌がらせに追われるようにして、オーケストラを去っていった。
1936年には、ベルリン・フィルにはもうユダヤ系のメンバーはいなかった。その後は、「アーリア系の男性」のみが雇用されることとなる。
(P.18〜19)
「アーリア系男性に限る」と条件付してオケを運営したら、どう考えても技術レベルの維持は難しかろうと思う。大体、ユダヤ系の音楽家は、演奏家、作曲家を問わずとても多いから、ユダヤ系排除だけでも随分とレパートリーを狭めてしまうだろうに。
でも、国粋主義をとるなら、もう、見た目でアーリア系でないと許しがたい、ということにもなるのだろう。
で、ベルリン・フィルは戦時中、非常なハードスケジュールで、ヨーロッパ各地で客演をした。
戦争になると演奏旅行中のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は軍の一部隊のように扱われ、ほぼ全ヨーロッパを網羅していた国防軍の交通網を利用した。
軍隊の一部隊のようって。どんだけ政治的存在なんだ、ベルリン・フィル。
現在、ベルリン・フィルは、自主管理のオーケストラ共同体となっている。
でも、今でも、ベルリン・フィルの活動には「ドイツ音楽の威光を知らしめる」という意図、目的が含まれるのだろうか。
お隣、フランスでは、1服飾ブランドが自ら「フランスの威光」を担う自負を堂々と宣言しているのを鑑みると、当然、あるんだろうな、とは思う。
個人的には、芸術至上主義を貫いてほしい。
まぁ、言われるまでもなく、そうでなければ、世界のトップは維持できないだろうが。
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