大阪市立東洋陶磁器美術館〜安宅コレクションに寄せて〜

ありていに言えば、陶磁器に、さして興味はなかった。
中之島の美術館に足を運んだのは、たまたまの時間つぶし、通りがかりに過ぎない。

それが、である。白磁青磁の美しさにすっかり魅入られ、我を忘れて陶然としてしまう。
そこにある強烈な「美」に、時間も何もかも忘れてしまいそうになる。

いや、ここは、世界屈指の美術館だろう。

コレクションも素晴らしいが、陶磁の配置や光のあて方、すなわち「いかに美しくみせるか」についても卓越している。
「(陶磁器を芸術作品として鑑賞するための)最高のコレクションと展示環境を備えた美術館」と館長は語っている(館長メッセージhttp://www.moco.or.jp/about/greeting/)が、まったくもってその通りである。

ため息をつきつつ、ふと、説明プレートに目をやり、はっとした。
『安宅コレクション』。

「安宅産業の忘れ形見、か…」。

★★★

安宅産業は、かつて日本10大総合商社の一つだった。そして、1975年から1977年にかけて華々しくも劇的に破綻した。

安宅産業の破綻のトリガーは、カナダでの石油取引の失敗であったが、国内でも全社にわたって、粉飾、架空取引がなされ、ガバナンス不在の「危険な企業」だった。恐らく、石油取引の失敗がなくても、早晩破綻していたのではなかろうか。

その安宅産業で、特異な地位にあったのが、安宅英一氏である。
創業家の長男として生まれ、1965年から「取締役社賓」という、他では聞かない肩書をもって安宅産業で権力を握っていた人物だ。

どうも、安宅氏は「安宅産業は、創業家である安宅家のためにある」と考えていたようだ。
前近代的にもほどがある。
事業にはタッチしないが、人事権を握り、“安宅ファミリー”と呼ばれる人脈を駆使して、密告による恐怖政治をひいたという証言もある。

根拠なき権力者。権力の乱用者。ガバナンスの破壊者。

安宅英一氏を、企業、組織の観点からみれば、かなりとんでもない人物である。

安宅氏は、社の事業として美術品収集に注力した。
それは結構なことだ。民間企業が、自社の判断として、どんな事業をしようと自由だ。
ただ、安宅産業内では、安宅コレクションは「会長の道楽」であり「会社の厄介者」とみなされていたようだ。美術品収集は、1951年から社の事業であったにもかかわらず、1968年に刊行された『安宅産業六十年史』では、一字たりとも安宅コレクションに触れられていないという。

安宅英一氏が残した文章の中で、「安宅コレクションは、会社のために集めた」という言葉があるが、やはり、違和感がある。
安宅コレクションは、社に実利を生んでいないという意味で、「会長の道楽」であり、安宅英一氏の美意識に貫かれたものという意味で「私的なもの」と感じる。
美意識とは、個人が何を美しいと感じるかということで、極めて私的なものだ。

しかし。
この安宅コレクションは凄い。
安宅英一氏の感性をよりどころにして集められているコレクションの圧倒的な美を前にして、安宅英一氏のただ者でなさを誰もが感じずにはおれまい。

美の追求者。美の巨人。

安宅コレクションが安宅産業の破綻とともに離散してしまわずに、大阪市に寄贈され、更には素晴らしい美術館に収まったのは、本当に僥倖であった。

★★★

安宅コレクション、そして、東洋陶磁器美術館の幸運は、美術館の初代館長として、長年、安宅英一氏の薫陶を受けてきた伊藤郁太郎氏が就任したことにもある。

伊藤氏曰く、コレクションというのはすべてピラミッドのようなもので、必ず裾野があるという。次につなげるために政策的に買うといったものもあるわけで、コレクションのすべてが素晴らしい逸品であるわけではない。
つまり、コレクションには「(美術館で)公開すべきものはなにか」という目利きが必要になるわけだ。
コレクションを生かすには、コレクションの理解者が必要なのである。

また、安宅氏は、安宅産業時代にコレクションを公開する際には、陳列について、1ミリ単位で調整を加えてこだわったという。陳列全体にリズムを刻む、一ミリ単位の調整。
この陳列術へのこだわりも、安宅氏から伊藤氏が引き継いだものである。

そして、伊藤氏の語る光と陶磁器のエピソードは、非常に印象的だ。
伊藤氏が、「青磁 八角瓶」という名品を、羽田の税関でみたとき、意外に釉色が沈んでみえ、感銘を受けなかった。しかし、安宅氏宅で、太陽光の入る明るい室内でみたとき、釉色はたちまちにして生気を帯び、神秘的な姿を見せたので驚いた、という。

光のあたり方で、美がたちあらわれる。また、光のあて方で、名品の美も殺してしまう。

美術館関係者にとっては常識なのだろうが、展示において、光のあて方はとても重要だ。
しかし、重要なのは知っていても、実際に、充分、美を引き出す光のあて方ができるかといったら、それは別問題だろう。

美術館および展示者は、美を引き出す力量が必要なのだ。


既に伊藤氏は館長を退任されているが、大阪市立東洋陶磁器美術館は、今日においても、世界有数の優れた美術館であり続けている。

大阪市立東洋陶磁器美術館。
http://www.moco.or.jp/

この美術館は、行かなかったらもったいない。

<参考>
・伊藤郁太郎『安宅コレクション余聞 美の猟犬』

美の猟犬―安宅コレクション余聞

美の猟犬―安宅コレクション余聞

これは絶版したらいかん書籍だろう。紙書籍、再版すべし。あと、電子書籍版も出版した方がいい。いつまた安宅コレクションが注目をあびてブレイクするか分からない。商機を逃さないためにも是非。電子書籍版を出すなら、写真がもう一度、撮り直しになるだろうか。電子書籍なら、すべての写真がオールカラーでいける。

・『「美の求道者・安宅英一の眼-安宅コレクション」展図録』

上記の『美の猟犬』と内容重複が多いが、大変見応えのある図録。
しかし、私は写真から陶磁器の「美」を感じることができない。陶磁器は、実物を観ないと陶酔はできない。やはり美術館に足を運びたい。

NHK取材班『ある総合商社の挫折』

安宅産業破綻については、いくつかの記録が残っている。近代的企業統治の不在。