北朝鮮の拉致について

日本人にとって、北朝鮮、といえば真っ先に連想するのは「拉致」だろう。

現在、日本政府が認定する拉致被害者は17名。
拉致は1977年頃から始まっている。

私が1970年代、1980年初頭に「北朝鮮が拉致している」「新潟とか日本海側の海岸は危ない」などと聞いたら絶対「悪質なデマ」と断じただろう。

理由は二つである。

理由1)曲がりなりにも国家が、大学生だの店員だの電電公社職員だの看護婦だの「ザ・市井の民」を拉致するなんてあるかい。そんな犯罪行為、国際的に認められない。バレたら非難ごうごうだ。拉致被害者の扱いなど、どう着地させればいいかも難しい。そんなリスクを冒してまでただの一般市民を拉致するメリットなんてあるわけなかろう。

理由2)大体、1950年代から大規模な「帰国事業」が行われている。1984年まで続いたがピークは1960年頃である。この帰国事業で約10万人もが北朝鮮に渡っている。中には日本国籍保持者もいた。これだけの「人口流入」があるのに加えて拉致なんて意味わからん。

結論)拉致なんてないでしょ。

…大外れである。本当に北朝鮮は拉致なんてことをしていたわけである。

私の認識によれば、1980年代半ばくらいから「どうもマジで北朝鮮、拉致してるらしい」と多くの人が思うようになり、1987年の大韓航空機事件で確信し、90年代はもう「拉致があったのは既定。拉致被害者を返せや」という社会認識だったと思う。

国会で北朝鮮の拉致についてはっきり言及されたのは1988年。そして2002年、ついに北朝鮮が拉致を認めて謝罪した。

少なくとも70年代は、多くの「良識派」の市民は「拉致なんてデマでしょ」とか思っていただろう。そんな中で活動されていた横田夫妻などの心労は如何ばかりかと思うと胸が痛む。

正直、今でも「信じられない」「北朝鮮、ワケわからん」というのが私の率直な感想である。

しかし拉致は勿論事実である。
幸いにして何人かは日本に帰国を果たし「北朝鮮に拉致されるなどというあり得ない被害体験」について貴重な証言も著わしている。

蓮池薫「拉致と決断」

拉致と決断 (新潮文庫)

拉致と決断 (新潮文庫)

蓮池氏の文章は非常に読みやすい。この文章力、ただ者ではない。そして思考も非常にクリアで示唆に富む。彼の著作は読まねば勿体ないだろう。

蓮池氏は1978年、中央大学在学中に新潟県柏崎市の海岸で拉致される。
2002年に帰国。北朝鮮での生活は実に22年に及ぶ。
北朝鮮では招待所という北朝鮮的には恵まれた住居と配給を得て、翻訳などの仕事をしていたようだ。
拉致被害者という「隠蔽され続けなければいけない存在」であり、いわば特殊な政治思想や権力への従順を強いられ軟禁状態に置かれた22年間である。

非常に特殊な立場の限られた見聞だろうが、蓮池氏の伝える北朝鮮の姿は実に興味深い。
以下、引用は「拉致と決断」による。


1.スポーツは北朝鮮が勝った試合しか放映しない

テレビに映る国際競技では、北朝鮮の選手やチームが必ず勝ち、日、米、韓は必ず負けていたのだ。

北朝鮮では「すべて勝った試合や得点シーンだけを編集した録画放送」で生放送は滅多になく、「多くの人たちは自国がスポーツ強国であると信じて疑わない」そうだ。
マジで?現実にこんな茶番な情報統制をしているとは。結構衝撃である。

2.北朝鮮には職業選択の自由もない
職業選択が党組織によって決定されるとか、親の職業をその子に継がせよう方針とか、どんな身分社会だよ。

「若い人が嫌がる、採炭夫や鉱夫、鉄道管理員、農民などのつらくて骨の折れる業種では、労働人口が減少する傾向にあり、経済発展のネックになっていた。それを防ぐために、子どもが親の職業を自分の革命任務とみなして引き継いでいくことが党の方針として積極的に奨励されていたのだ。」

酷い。こういう強制徴収をすると、「辛くて骨の折れる業種」がつらくないようにする待遇改善とか技術開発とか労働の効率化とかが起こりにくい。

ヒンドゥー教社会ばかりでなく社会主義国もまた強烈な前近代社会である。

3.地方と平壌の格差の凄まじさとその理由
平壌は特権階級が住む特殊な首都で、移住も流入も制限されてるし、地方との格差はものすごい。というのは知っていた。
まぁどこの国でも大抵、地方と都市部の「格差」はあるし、自然と生じてしまうものである。
でも北朝鮮における格差の背景は驚愕である。

戦争が起これば、都市も農村も廃墟と化す。だからやたらと地方都市や農村に投資するのは無駄となる。ただ平壌だけは、国家の威信をかけて立派に建設し、軍事力をそこに集中しなければならない。

こりゃ地方に生まれた絶望感、平壌への憧れは半端ないだろう。
というか脱北もしたくなる。ちなみに平壌の人口は300万人あまり。北朝鮮の正確な人口は分からないが、恐らく2000万人あまりは地方在住である。2000万人を戦争になる前から切り捨ててる国、北朝鮮。絶句するしかない。


4.女性の待遇酷すぎ

北朝鮮では「女性のズボン着用原則禁止」「自転車に乗ることも禁じられている」ってどこのイスラム教国だよ。

しかも、「2000年代になっても平壌市内には洗濯機や掃除機、自動炊飯ジャー、電子レンジのある家庭がほとんどなかった」、「あいからわず靴下や下着はもちそん、シャツやズボンにいたるまで風呂場にしゃがんで手洗いするのが女性の日課」とは泣ける。
あの寒い、というか割と極寒の地、北朝鮮で手洗い。
しかも。

公衆トイレの掃除、ゴミの撤去、下水道の維持、道路の修理にいたるまで、日本なら行政機関が行う作業を無報酬でやらされていたが、その中心的な担い手は家庭の主婦だった。

無報酬労働、きつすぎだろう。

彼女たちの統一願望は強い。その期待は民族的な使命感や感情からだけではなく、なかなか抜け出せない今の苦労がきっと国の統一後に豊かな生活として報われるだろう、だから早く統一してほしいという願いからでもあった。

彼女たちの望む統一って北朝鮮による統一なんだろうか。であれば状況は変わらないと思うのだが。

さりげに彼女らは現政権からの解放を切望しているかもしれない。

確かに北朝鮮が崩壊して(仕方なく)韓国が北朝鮮を統合したとしたら、現状よりは遥かにマシになるだろう。日常生活で洗濯機が使えたら革命的に生活は変わる。

しかし、平壌市民であれば、今までは「人々から羨望されるエリート平壌市民」だったのが、合併後は多くが「旧北朝鮮出身の貧困層」に落ちるわけで精神的にはきついだろう。
もっとも地方在住者は元々が貧困層だろうから生活向上のメリット感の方が大きいかもしれない。

5.北朝鮮は先の戦時下の日本に超似ている。
(注)上記は蓮池氏が言ったことではなく、私が蓮池氏の記述から思ったことである。

思想抜きに北朝鮮を語ることはできない。
そこでは、行動とその結果を左右する最大の要素が、人間の精神、思想だと信じられているからだ。
たとえば技術的、物量的に優位にあるアメリカ軍に対しても、指導者への忠誠心と愛国精神が高ければ必ず勝利できると主張する。労働者の生産性を高めるにも、給料を上げたり賞罰を行ったりする物質的なインセンティブより、国や社会への献身性を発揮させる思想的刺激のほうが有効と考えている。

おおー。なんだ、このよく見知った感じ。「旧日本軍の精神を継承するものよ。汝は北朝鮮」といったところだ。
ていうか、こういう会社や組織、今も日本にあるし。
北朝鮮、わが兄弟」といってもいい。

そして。

先軍政治」を盾にした一部軍人の横暴ぶりと、それを仕方ないとする一般人の無関心ぶりが、ひとつの社会的風潮になっていたのだ。

これ。
かつて「威張りまくる軍人がいなくなったという点だけをとっても敗戦してよかったと思う」という戦中派の市民コメントを読んだことがある。
戦時中の軍人の横暴エピソードは枚挙の暇がない。なにこのデジャブ感。

なんというか「北朝鮮はとても日本に似ている。残念ながら悪い意味で」と私は思うのだ。

6.蓮池氏の伝えたいこと

私の勝手な感想はともかくとして、蓮池氏が伝えたいことは、北朝鮮に住んでいるのは至って普通の人々である、ということである。彼が接したのは主に招待所の限られた人達だが、語られるエピソードから浮かび上がるのは、いい意味でありふれた普通の人達だ。

「決して楽に暮らしているとは言えないかの地の民衆について、日本の多くの人たちに知ってほしい」
「彼らは私たちの敵でもなく、憎悪の対象でもない。問題は拉致を指令し、それを実行した人たちにある。それをしっかり区別することは、今後の拉致問題解決や日朝関係にも必要なことと考える」

うむ。
北朝鮮といえばついつい「ネタ国家」扱いしてしまいがちだが、そこに生きているのは普通の人々だ。
重要な指摘だな、と思う。