川越を観光してみる

埼玉県は著しく地味である。
神奈川県が横浜、鎌倉を擁するのに対し、埼玉の観光地といえばどこか。

秩父長瀞もあるが、とりあえず川越であろう。

さて。前々から、一度「川越観光」をしてみたいと思っていた。
結論から言えば、川越観光はかなりお奨めである。

■都内からのアクセスのよさ

せっかくなら観光を意識して仕立てた列車で乗り込みたい。
川越に乗り込むには2つの選択肢がある。東上線で池袋から「TJライナー」で乗り込むか、西武線高田馬場から「小江戸号」で乗り込むかである。
両車両とも窓も広く、新幹線顔負けの座席も快適である。

高田馬場から本川越まで所要時間約45分。
池袋から川越駅まで所要時間約30分。


■川越が見込める観光客層

当然、もっとも見込めるのは約1300万人の東京都民だろう。日帰りできる手軽な観光地として申し分ない。
また、アジアなどからの観光客層も見込めるかもしれない。新宿から1時間以内で東京より安く快適なホテルがあれば十分東京観光における宿泊地候補として選択肢に挙がることが可能だろう。勿論、異国情緒(この場合は日本情緒)を楽しめる旅館系の宿泊施設があってもいい。それはこれからつくられる情緒でまったく構わない。

現時点においては町および観光名所が美しく整備されているという点で、中国有数の観光地蘇州よりも川越に軍配があがるのではないか、と思う。アジアにおける競争力も低くない。

■川越の観光ポイントその1)蔵造りの町なみ、時の鐘

川越観光といえば、蔵造りの町並みだろう。
小江戸川越」などというキャッチフレーズを掲げているが、川越の町は明治26年1893年)の川越大火で見事に焼失している。なにしろ川越町3315戸のうち1302戸が焼失した。中心街を全て焼失し、これは川越全町の焼失と言っても過言ではない。

蔵造りの町並みとはすなわち明治の町並みである。

興味深いのは、これだけの大火にもかかわらず焼死者や怪我人は1人もなかったと記されていることである。
これは凄い。

それだけの火事の際の避難等について十分な組織力があったのか、蹴破れば脱出できるような脆弱な家屋が多かったためなのか、歩くことのおぼつかないような病人や老人はそもそも自然淘汰済みで、ほとんどいない社会だったのか。

ともかくも商家と商品が焼き払われた経済的な痛手は大きく、防火のための街づくりが行われた。そしてそれらが空襲により焼失することを免れた。先の大戦で多くの都市が焼失しまくったことを考えると、この僥倖は確かに川越の強みである。

現在の川越で特筆すべきは、観光地区の電線類の地中化だろう。電柱がないことによる効果は非常に高い。電線類の地中化は特に周囲に高層ビルがないことも空が広く見えて効果を高めている。電線類の地中化が完了したのは1992年。

昭和の時代、川越の町並みは観光に値しない町だった。昭和時代の川越の写真をみれば、蔵造りの建物があったとしても雑然とした、どこにでもある冴えない地方都市に過ぎない。川越は、電線類の地中化だけでなく町の整備に努めてきたことが分かる。

■川越の観光ポイントその2)川越城本丸御殿

本丸御殿そのものは1848年に築かれたようだ。
火事の頻発した日本各地のご多分に漏れず、そう長い歴史を持つものでもない。とはいえ2011年、総工費2億5千万円かけた修復工事が終わり、非常に美しく整えられている。修復というが、多分、修復以前のいつよりも美しい状態にあるのではないか。2億5千万円の現代技術を駆使した粉飾かもしれない。まぁいいのだ。美しければ。利用価値があれば。
個人的に、観光地として江戸の痕跡、すなわち過去の遺物などはこの程度で充分だと思う。

■川越のマイナスポイント)道幅が狭い

川越の観光中心地は江戸時代の町割りが基本となっている。自動車もなく人口も少なかった江戸時代を考えればそこそこ立派な道だったかもしれないが、現在においては道幅が狭い。歩道と車道のあいまいさは非常にストレスを感じる。なにしろ江戸時代から道幅が変わっていないところもあるのだ。

もっとも鎌倉の江ノ電周辺の道も大概であるから、観光地として相対的にダメダメというわけではない。

しかし川越は現在、年間600万人を超える観光客が訪れるようだが、道路事情をみると大量の観光客招致は難しいのでは?と思わされる。
上手い交通規制の方法などを早急に考える必要があるのではないか。

鎌倉は地形的に対応が厳しいが川越はそうではなかろう。


■結論

川越は「相対的に観光地としてかなりいけてる」と思う。
埼玉といえば都下のベットタウン、特徴のない土地というイメージが強いが、川越には、確かに川越に愛着と矜持を持つ人達の存在がある。

かつて、川越は廃藩置県後のごく短い期間、入間県の県庁所在地であった歴史を持つが、確かに県庁所在地であっても遜色ない求心力を持つだろう。埼玉県の人口700万人超は県としては人口過多だ。3つに分割したって200万人を超えるわけで、「川越を県庁所在地とする県があってもいいんじゃないの?」と川越市立博物館をみて思う。

川越が、町の整備などの成果として、観光地としての「価値」を確立したのは1990年代後半のことだろう。
確かに1940年代に空襲を受けなかったことは川越の強みである。しかし重要なのは「伝統地区保存」より「これから創る美しい町並み」だろう。
川越の過去に、大々的に誇るような「美しい町並み」など別にない。

小江戸などという「川越ファンタジー」をつくって街づくりを推進するのもよい。しかし、そんな江戸だの明治だのの幻想はフレーバーとして香ればよいのであって、重要なのは、「今、魅力的な店舗」のある「観光客が普通に一目見て美しい、かっこいいと思う町並み」が創ることができるかだ。

例えば「あーはいはい、観光地にありがちだよね。こんな過去の遺物、いやげ物とまでは言わないが全く食指が動かない」という商品しかない店はいらない。また、川越が明治や江戸の過去の歴史や風俗を保存することに大きな価値は見いだせない。所詮、川越は江戸(東京)周辺の小さな田舎町だったに過ぎないわけで、そうたいした歴史を持つわけでもない。

人口をみれば市制をひいた1922年(大正11年)に約3万人。
人口が激増するのは戦後だ。1970年に17万人、2010年に約34万人とその激増ぶりはすさまじい。
川越がもっとも栄え、美しいのは間違いなく現在だ。

美味しくて雰囲気のよいカフェやレストラン、「これは美しい。かっこいい。素で欲しい」と思う魅力的な商品を売る商店があるといい。

川越には老舗と呼ばれる店が幾つもあるが、老舗というストーリーは利用しつつ、現代の競争に耐えうる美味しい店となったらいい。
例えば、川越藩御用達だったという和菓子屋「亀屋」などがあるが、別に過去の味の再現など全くいらない。赤裸々に言えば、江戸などという前近代、しかも関東などに洗練された和菓子などあるわけないのだ。これから美味い和菓子がつくられたらいい。

川越は、東京から近いだけにリピーターをつくることが重要だろう。
更に「ここで暮らせたらいいなぁ」とまで思わせられたら大成功だ。

川越市立美術館などもあったが、川越で、これから多くの美術的価値あるものが生まれるといいと思う。

■おまけ)川越でみつけたイケてる店

あぶり珈琲
http://r.gnavi.co.jp/2bc2jsw70000/

ここの珈琲はマジ美味しかった。全国でもトップクラスだろう(多分。一度しか行ってないが)。
1人か2人程度で静かに訪れるべき店。ここはまた行きたい。
ちなみにここは創業20年程度だそうだ。こういう素敵な店が沢山生まれて根付くといい。