父の死因

父は突然死であった。2000年秋。享年57歳。

出張先で「頭が痛いから病院に行く」と同僚に告げ、たまたま出張先の近くにあった大学病院の待合で椅子に座ったまま絶命した。

出張先は地方だったため、連絡を受けた家族が到着するまでは時間がかかった。
家族が到着するまで、父の明らかな遺体に対し、無理やり空気を送り込み蘇生措置がなされていた。

あの遺体、ひいては人間に対する冒涜感は忘れられない。
死亡診断書上の死亡時刻と実際の死亡時刻は明らかに乖離している。

死亡時刻の半日ばかりの乖離はともかくとして、問題は父の死因である。死亡診断書には「心筋梗塞」と書かれていた。

医師から「解剖しなければ正確なところは分かりませんが。病理解剖しますか?」という問いがあったと記憶している。

家族としては「解剖して死因がなんであれ死んだものは死んだのである。死因を追及して生きかえるわけでもない」と考え「解剖は不要」と判断した。

それと白状すれば、父の遺体にメスを入れることに対して強い拒絶感があった。

しかし、今でも考える。
心筋梗塞だった可能性は高い。診断は妥当だ。しかし本当に心筋梗塞だったのか。父はもしかしたら脳梗塞だったかもしれない。その可能性はある。
死ぬしばらく前から呂律があやしかったのが気になっている。

★★★

さて、何の疾患で死亡したのか。天寿を全うすることを妨げた要因は何なのか。そうした死因を特定する意義とは何か。

疾病に対する対策費、研究費は当然、患者数の多い疾患に多く配分される。
限りある資源の投入先の費用対効果を考えれば当然である。

ありていに言えば、天寿を全うした高齢者の死因追及の優先度は低い。犯罪死でなければ問題ないだろう。
90歳の老人の死因がガンだろうが老衰だろうが、その違いがさして重要とは思わない。むしろ本人も周囲もできるだけ幸福に死を迎えられる環境を整えることが最も重要だ。


しかし、まだ現役だった者、ざっくり言って年金受給年齢前に死んだものの死因をしっかり把握する社会的意義が大きいと考える。

60歳前に死んだ父の死因は「心筋梗塞」でカウントされた。

しかしその死因が正しかったかどうかはもう分からない。解剖をしても死因不明な場合もあるから必ずしも判明したとは限らないが、死因を追及にする意義はあったのではないか、と今は思う。

まぁ父の場合は本来、行政解剖の対象だろう、とも思うが。

★★★

さて。解剖はどのくらい行われているのだろうか。
2009年の死者1,141,865名のうち解剖を経たのは30,939名にすぎない。
とはいっても60歳未満死者数は114,748名。60歳未満死亡者は原則として解剖するとしてもよいと思う。が、遺族の反発、抵抗も容易に予想できる。
実際、自分自身、解剖には遺族として大変抵抗があった。

父の死亡した大学病院では、2010年にAiセンターが開設された。
遺体のCT撮影は基本的には解剖の補助と位置づけられるようだが「解剖ではなくCTだけならばやってもよい」という遺族も多いだろう。

Aiのみで死因を特定できるケースは30%あまりといわれるようだ。
本当に30%も特定できるのか疑問も感じるが、それでもより死因の追及に寄与することは間違いない。普及する価値のある技術だろう。

http://www.hospital.med.saga-u.ac.jp/hp/medicalcare/aicenter2/

しかも安価である。遺族負担であっても5万円程度でAiを利用できるなら是非利用すべきところだ。
http://www.hospital.med.saga-u.ac.jp/hp/medicalcare/aicenter/ai-center-info.pdf

「死因は戒名。正確な死因をつきとめることこそ供養」という意味のことを、ある医師が言っておられた。
よりよい戒名のために(より正確な死因究明のために)Aiくらいはやりたいものだと思う。