日本人のよさが失われてる?

先日、とある中高年サラリーマンの発言にどたまげた。

「最近、日本人のよさが失われてる!」
「日本人のよさって何ですか?」
「先輩の言うことをなんでもはい、はい、って素直に聞くこと」

いやいやいや。
それ「よさ」じゃないでしょ。

そういう「日本人のよさ」バリバリの会社の風景を想像してみよう。

例えばそんな「日本的社風」の証券会社や精密機械会社だったなら。

「よし!ここは“とばし”でいくぞ」
「はい!」
「その損失はこっちの帳簿で管理しとくから」
「はい!」

参考事例1:山一證券http://d.hatena.ne.jp/falken1880/20111204
参考事例2:オリンパスhttp://d.hatena.ne.jp/falken1880/20111119

例えばそんな「日本的社風」の建設会社だったなら。

「コア抜きしとけ!鉄筋切れても気にするな!」
「はい!」
「あ、ディベにも購入者にも行政にも知らせなくていいから」
「はい!」
参考事例:鹿島建設http://d.hatena.ne.jp/falken1880/20140505

注)参考事例の会社でそうした会話があったわけではなくあくまで仮定上の想像。

そんな会社、まず不祥事が起きるのは確実だ。

「親が白だと言えば、黒いカラスも白いんじゃ」とはヤクザの常套句である。
私はこんな理不尽な行動規範が是とされる集団はとてもではないが許容できない。

だが「先輩の言うことをなんでもはい、はい、って素直に聞くこと」が「日本人のよさ!」と言い切ってしまうサラリーマンの存在は、普通の企業においてもそのやくざ的精神がよしとされてきたという証左だろう。

ざっくりいえば「内輪(やくざで言えば組内。企業においては社内もしくはもっと狭く部署内)にしか価値を見出してない」、「視野が狭い」、「正義というか公共の概念がない」と思ってしまう。

こんな「日本人のよさ」が充満していた昭和は今より遥かに不祥事が多かっただろうし、そうした不祥事が発覚することも少なかっただろう、と私は確信している。


対抗しよう。

21世紀の合言葉は「アカウンタビリティ(Accountability)」ということで。

どこに対するアカウンタビリティ
社会に対して。顧客に対して。株主に対して。監督官庁に対して。監査に。他部署に。新入社員に対しても。

企業が社会の公器であるならば、かのサラリーマン氏のいう「日本人のよさ」はいらない。