プロなら暗譜で

NHK交響楽団をよく聴きに行く。
ほぼ毎回、本当に素晴らしい名演に驚嘆する。

例えば、2011年のシャルル・デュトワ指揮、マーラー「一千人の交響曲」。2014年のファビオ・ルイージ指揮、オルフ「カルミナ・ブラーナ」。

圧巻。圧倒的に高いレベルの技術力。間違いなく名演だ。
戦後、昭和の時代から、日本のオケや演奏家の音楽レベルは飛躍的に向上していると思う。こんな演奏をライブで聴けるのは東京に住む贅沢である。

でも。やっぱり納得できないことがある。
合唱団の楽譜ガン見。

しばしば声楽ソリストの楽譜ガン見もある。
(ピアノやバイオリンで譜持ちソリストは見た記憶がないのだが、なぜか声楽ソリストは譜持ちの場合が多い)。
楽譜ガン見をされると、観客として視覚的に音楽に没入できない。客席から見て音楽を共有する一体感がない。演奏者として客席に伝えようという姿勢が感じられない。それはちょっとどうなのよ、と思う。

さらに言えば「千人」では明らかに合唱の入りが指揮に遅れた個所があった。あれの原因は楽譜ガン見で指揮をみていなかったからだと思う。どう考えても「そこは指揮者注目!でしょ」というところで楽譜にかじりついてたりするのはいただけない。

オケ団員の場合は楽譜ありが普通だが、ソリストと合唱については譜持ちはよろしくない。

日本でプロ合唱団といえば、東京混声合唱団、二期会合唱団、新国立劇場合唱団がある。

美しい声、声のコントロール力、高い譜読み能力、表現力。勿論、それらはプロの要件だ。

しかし楽譜ガン見は“プロ”ではない、と思う。端的に言えば「それはまだ舞台にあがるレベルに達してないんじゃね?」

楽譜を手元に持っているとどうしても暗譜が甘くなる。そして指揮者より楽譜にかじりつきがちだ。
それはプロといえど人間なので仕方ない、と思う。
人間、そんなものだ。
ならばいっそ手ぶらでステージにあがればいい。それなら暗譜せざるをえない。暗譜した上での表現こそプロとして求められるレベルの仕事なのではないか。視覚的な表現を含め。

大体、「千人」とか「カルミナ」とか超メジャー曲だし。合唱団はそのくらい暗譜して欲しいというのは無体な要求ではないはずだ。

<覚書>

史上有数の超名演!

2011年12月3、4日
マーラー交響曲 第8番 変ホ長調「一千人の交響曲
指揮:シャルル・デュトワ

ソプラノ:エリン・ウォール
ソプラノ:中嶋彰子
ソプラノ:天羽明惠
アルト:イヴォンヌ・ナエフ
アルト:スザンネ・シェーファー
テノール:ジョン・ヴィラーズ
バリトン:青山 貴
バス・バリトン:ジョナサン・レマル
合唱:東京混声合唱
児童合唱:NHK東京児童合唱団



2014年1月25、26日
NHK交響楽団
オルフ/カトゥリ・カルミナ
オルフ/カルミナ・ブラーナ

指揮:ファビオ・ルイージ
ソプラノ:モイツァ・エルトマン
テノール:ヘルベルト・リッパート
テノール:ティモシー・オリヴァー
バリトンマルクス・マルクヴァルト
合唱:東京混声合唱
合唱**:東京藝術大学合唱団
児童合唱**:東京少年少女合唱隊