新美南吉「ごんぎつね」

新美南吉 ごん狐 - 青空文庫

「ごんぎつね」は小学3年か4年の教科書に掲載されていた。初めて読んだ新美作品である。

「ごんがかわいそう」という感想が大方だったが、私はどうも「この作品で最もかわいそうなのは、最後に殺されるごんではなく、ごんを殺してしまった兵十だ」と思えてならなかった。
ごんには最後、兵十に気持ちが通じたという救いがある。命が終わる哀しみとともに、ある種の満足と幸福がそこにはある。
一方、「ひとりぼっちの兵十」は、母を失い、そして、ごんの兵十に対する一方的で子どもらしい愛情に気づくと同時に失ってしまう。
しかもごんを自らの手で殺してしまうのだ。兵十は一生、癒えない傷と忘れられない「罪」を背負うだろう。
こうした「愛をぐしゃっと握りつぶしてしまうような」、思い出すだけで胸が痛くなる、取り返しのつかない罪を背負うことは、誰の人生でもあることで、これこそ新美が描きたかった主題かもしれない。と思うのはうがった見方だろうか。
勿論、ごんの寂しさや兵十に対する愛情と贖罪の気持ちや、最後に兵十に思いが伝わった幸福感への共感という読み方で十分「ごんぎつね」は名作たりうる。

それに加え、新美南吉の類まれな才能は、文章で抒情的な風景を表現してしまう。読んでいて目の前に鮮やかに情景が浮かぶのだ。

冒頭近くから、風景描写の上手さにやられてしまう。

ごんは、村の小川の堤まで出てきました。あたりの、すすきの穂には、まだ雨のしずくが光っていました。川は、いつもは水が少いのですが、三日もの雨で、水が、どっとましていました。ただのときっは水につかることのない、川べりのすすきや、萩の株が、黄いろくにごった水に横だおしになって、もまれています。

兵十の母の葬儀シーンでは、彼岸花の咲く中を通る白の葬列、遠くで光るお城の瓦。
そして最後、ごんをうった火縄銃から立ち上るかすかな青い煙。

「ごんぎつね」は多分、沢山の作家が「絵本にしてみたい」と思う作品、多くの人々が「絵本で読んでみたい」という欲求にかられる作品でもある。

しかし「これぞ」という絵本が描かれるのはなかなか難しい気がする。
兵十は貧しい村人で、ごんも穴に住むいたずら好きのキツネだ。
その泥臭さや生活感、生き生きとした生命力の表現と同時に、抒情的な美しさが両立している絵本であって欲しい。

新美 南吉、かすや 昌宏「ごんぎつね」

ごんぎつね

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