リトビネンコ事件
2006年のリトビネンコ氏殺害のニュースはちょっと忘れられないほど印象的だった。
ニュースの概要はこうである。
「ロシアからイギリスに亡命していた元KGBのリトビネンコ氏が、ロンドンのジャパニーズレストランで放射性物質により毒殺された」
こんな短いニュースで、ロシア、イギリス、日本と三か国も登場している。どれだけグローバル。
しかも放射性物質(ポロニウム210)による毒殺。
これが現実のニュースとは俄かには信じがたい。まるで映画か小説のようで、これほど非現実感満載な事件も珍しい。一目みて忘れられないニュースだった。
あまりに印象的な事件だったので、2007年に公開されたアンドレイ・ネクラーソフ監督の『暗殺・リトビネンコ事件』はもちろん見逃せない映画だった。
いやはや、ロシアは本気で怖い。
1998年、リトビネンコは、FSBが政治的脅迫や契約殺人に加担していることを告発している。
このFSBの脅迫や殺人加担については、何しろFSBは旧KGBなわけで、そういう組織であろうことはそれほど意外性はない。
意外性はないが、結局CAIやKGBのような暴力組織は、暴走してその国の国民に危害を及ぼす存在になりがちなんだよな、と思う。組織は、国のためではなく権力者のためにしか動かない。
もしもKGB、FSBの年代別国籍別殺人統計があるならばとてもみてみたい。そんな統計はまずないだろうが。
流石に「げっ」と思ったのは、リトビネンコのチェチェンにかかわる告発である。
1999年、モスクワでアパート連続爆破事件が発生し、一般市民300人近くが死亡した。
すかさずプーチンはチェチェン独立派武装勢力のテロと断定→チェチェンへの侵攻を再開→強いロシアを打ち出すプーチンを国民が支持→プーチン、大統領に。と事態は推移する。
プーチンは大学卒業後KGBでキャリアを積み、1998年にFSB(旧KGB)の長官に就任している。
リトビネンコは、このアパート連続爆破事件は、プーチンを大統領に押し上げるためFSBが仕組んだ自作自演テロである。と断定している。
これが事実とすれば、政治的目標達成のために一般市民300人近くを平気で殺害し、さらに無実の市民(被差別民であるチェチェン人)を犯人として拘束したり殺すことも平気でできる感覚の持ち主が政権を握っていることになる。
仮に「自作自演テロ→テロを「敵」の犯行とする→国民に復讐感情を盛り上げる→戦争突入」という政治手法が世界で一般的なものであるならば怖い話だ。
ロシアは人種差別が厳然とある国だという。しかし、被差別民族であるチェチェン人が独立を主張しても、ロシアはチェチェンを手放さない。なぜか。「エネルギー資源はロシア政府の手に集中させ独占的に管理する必要がある」とし、資源重視の経済政策を標榜するプーチンが石油産出国で石油パイプラインの通るチェチェンを手放すはずがないのだ。どうも石油はチェチェンに富より厄災をよんでいる気がしてならない。
また、チェチェン紛争は、武器という一大産業の消費地としての活用という側面もあろう。チェチェン人への差別意識とあいまって、戦地の悲惨は加速する。
2006年、プーチンを批判し、チェチェン紛争報道で有名なジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤがモスクワの自宅前で射殺されている。犯人は不明だ。
ロシアでは2000年以降、100名を超えるジャーナリストが殺されているといわれる。襲撃されたジャーナリストの数はこの数倍であるはずだ。
ロシアは言論を暴力で封じる風土の国になっている。
襲撃の犯人は様々だろうが、そのうちのいくつかはFSBによるものではないかと疑われている。国家権力を握る者が暴力で言論の自由を封じる国、暴力を肯定する国というのはいかがなものか。少なくともそんな国には住みたくない。
リトビネンコ氏「変死」の原因は不明とされているが、普通に考えてFSBの仕業だろう。
しかし、こんな劇的な事件を起こさなければ私などはロシアにこんな風に注目することもなかったのに。
ロシアは、国家が暴力と恐怖による統治を肯定していることを隠すつもりもないのかもしれない。
考えてみれば、KGBのたたき上げが国のトップで権力を握っているロシアは、それはスターリン時代にも匹敵する恐怖政治がひかれているだろう。と慄然とするのだ。
アンドレイ・ネクラーソフ監督「暗殺・リトビネンコ事件」
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