春闘が白々しい理由

春といえば春闘。とか連想する人はほとんどいまい。
連合に加盟する労働組合の組合員でさえ「あ、そういえば春闘なんてやってたんだ?」的な感覚だろう。ましては社会における存在感をや。

現在、労働組合の組織率は20%を切っている。しかも労働組合員の多くが大手企業正社員だ。以下の人たちのほとんどは労働組合に加入していない。

・大手企業の子会社を含む中小企業の従業員
・いわゆる非正規雇用の労働者(若者、女性の多く)
個人事業主

春闘で踊る言葉を列挙してみよう。
・ベースアップ
定期昇給維持
・ボーナス満額回答

これらの毎度おなじみのフレーズにはいい加減、飽きた。殊にベースアップと定期昇給については「今はいつだよ」「高度成長期は終わりましたが」と突っ込みたくなる。時代遅れも甚だしいのだ。そしてこれらの要求は労働組合員たる大企業正社員以外には関係ない。

前時代の遺物と化した春闘だが、最近の「希望者全員の65歳までの雇用確保」には流石に我が目を疑った。これを高々と掲げられる神経が凄い。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/roudou/seido/torikumi/koureikoyou.pdf

希望者とは正社員を指すわけで、すなわちそのカテゴリーに属する中高年男性の不当優遇を堂々と掲げていることになる。

連合は現在求職活動をしている若者達の雇用機会はどう考えているのだろうか。
また、現状では正社員の中途採用はほとんどない。このことの不利益をもっとも被っているのは女性だろう。妊娠、出産、子育て、介護などでキャリアの中断を余儀なくされる可能性が高い。再就職は通常、パートなどの非正規雇用となる。

若者や女性に雇用の機会平等は与えられないのか。

かくて連合、労働組合が「大手企業正社員(中高年男性)の既得権益死守倶楽部」であることが、あまりに赤裸々になりすぎていて白々しい気分になる。

大体、正社員は65歳まで雇用しなければならないとなったら、企業としては、正社員というリスクはできるだけとりたくないと考えるのが普通だ。

「今、現場で人が足りてない。労働者を増やす必要がある」としても、「でも市場は縮小傾向にある(←少子高齢化によりほとんどの市場がそうだ)」。「(正社員○人を採用したとして)雇用を継続できる利益は将来確保できない可能性が高い」「もしかしたら将来、この仕事はなくなるかも」と思ったら正社員など採用できない。必然として非正規雇用が増えるわけだ。

現実的にはこうだ。

正社員を増やすには、解雇規制の緩和しかない。

大体、一度、正社員という特権階級になったら65歳まで滅多なことでは解雇されないなんて歪んでいる。そしてそれが雇用の調整弁としての非正規雇用に支えられているという実態は醜悪としか言いようがない。
解雇されない正社員という特権階級をつくることで様々な不公平が生まれるのだ。

・同じ仕事内容でも正社員と非正規雇用で待遇や賃金が違う。
・解雇が容易な非正規雇用者には、就業時間中は常にきりきり働くこととある程度の有能さが求められるが、正社員は無能で怠けまくっても非正規雇用者より高給。

競争がなければ怠けるのは人の常。予言しよう。65歳まで希望者全員雇用なんて、今以上に雇用の現場をゆがめるだろう。
大体、65歳まで(正社員)希望者全員の雇用を市場競争で生き残ることを求められている民間企業に課すなんて、ナンセンスにも程がある。民間企業はできるだけ有能な人材、自社の業務に必要な能力を持つ人材を雇用する権利がある。
失業者対策や国民の(健康で文化的な最低限度の)生活保障は国の仕事だ。

また、雇用にあたっては機会平等が確保されなければならない。若者や女性には雇用機会は与えられないのはいかがなものか。

機会平等は追求すべき社会正義だ。しかし結果平等はいらない。

しかもその結果平等がある特定階級内のみに限られるなら、それはまさに既得権益と呼ばれるものだ。

正社員に対する解雇規制が強すぎるがゆえに正社員は特権階級となり、不当な階級社会となっている。

真っ当な社会の礎となるもの。それは解雇規制の緩和と労働市場の流動化だ。

転職(大手企業はほとんどどこも終身雇用で年功賃金。中途採用は原則ない)や自営業、起業(年金など社会保障がサラリーマンに比べ圧倒的に薄い)という選択が著しく不利な状況下は、事実上、会社に隷属せざるを得ない。

終身雇用という制度は、憲法第13条や第22条を実質的に制限してきたように私は感じる。

第13条  すべて国民は、個人として尊重される。
第22条  何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

それもそのはず。

 実は終身雇用というのは世界でも日本にしか存在しない珍しい働き方だ。しかも、誕生したのは1960年代の高度成長期であり、戦後の文化である。

 その源流は、日中戦争下に成立した「国家総動員法」にさかのぼる。国家総動員体制というのは要するに、戦争のために国内のすべての資源を国が計画的に配分するという統制経済だ。そんななか、勝手に「俺はこんな賃金じゃやってられない」とか「大砲を創るのは危ないから転職しますね」なんてことを勝手に労働者に言われると非常に困るわけだ。そこで国家総動員法により、1年間に企業が賃上げしていい金額と、勝手な転職を防止したのが、今日の終身雇用制度の源流だとされている。

 それは一言でいうと、戦前のムラ社会に似ている。メンバーはひたすら己を殺して組織に従い、本音と建て前を使い分けるよう求められるのである。人の出入りがほとんどなく、年功によって序列が決まる組織は、えてしてそうなるものだ。
城繁幸「若者を殺すのは誰か」)

多くの日本企業では今でも、労働者の主体性なんて全否定が「常識」だ。滅私奉公を是とする価値観の前には勿論、言論の自由などない。だから日本社会は息苦しい。

城繁幸氏は解雇規制の緩和や労働市場の流動化を一貫して主張している。私も労働市場の流動化に心から賛成する。

しかし現実には2012年、「65歳まで(既存正社員の)希望者全員の雇用義務」が法制化されたわけで。
高年齢者雇用安定法の改正 2012年8月成立。

http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/koureisha/topics/tp120903-1.html

この法律はさりげなく日本社会の息苦しさと沈滞を加速させる。


城繁幸「若者を殺すのは誰か」

若者を殺すのは誰か? (扶桑社新書)

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