あいりん地区

あいりん地区の存在を知ったのは、数年前にこんな話を聞いたからだ。

「大きな声では言えませんが、大阪西成区結核罹患率はアフリカの最貧国並みなんです。あいりん地区があるから」

???

日本は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する(憲法25条)」、社会保障が整備された経済大国ではなかったか。
私の常識では、日本にそんな地域があるとは信じがたい。

しかしながら、あいりん地区における結核罹患率は、わが目を疑うものだった。

2001年のあいりん地域の結核罹患率は、1,120。
罹患率は1年間に発症した患者数を人口10万対率で表したもの)

100人に1人以上が結核に罹患していることになる。これはむしろ、当時、センセーショナルに報道されていなかったのが不思議なレベルではないか。

2010年には罹患率は517.7に低下しているものの、それでも全国(18.2)の28倍である。

★★★

どうにもその存在が信じられないあいりん地区に足を運んでみたのは2008年のことである。

あいりん地区。かつては釜ヶ崎といわれた日雇い労働者の街。日本最大のどや街。

新今宮駅を降りるころから、そこはかとなく異臭がただよい不穏な空気を感じた。
駅前の24時間営業スーパー玉出を出て、大通りの向こう(職安方面)を見やった瞬間の衝撃は忘れられない。ゴミが散乱し、年季の入った路上生活者が道に座り込んで酒を飲んでいるそこは、間違いなくスラムであった。

日本にないはずの地域がそこにあった。

「ここは日本だ。そうそう危険なことはないはず」とは思っても、全身の神経に「いてはいけないところにいる」という動物的危機感が突き刺ささった。
異世界だった。
あいりん地区では、私の存在自体に明らかに異物感があった。

職安(あいりん公共職業安定所)の付近には、職にあぶれていると思しき労務者がたむろし、そこはかとなく殺気めいた空気が漂っていた。
これは、訪れたのが月曜の朝だったからかもしれない。後日、休日に再訪したときはこの時ほど殺伐とした雰囲気ではなかった。街はその時間や時期によっても空気が変わる。

しかし、海外を含めて街を歩いていて、この時ほど「怖い」と思ったことはなかった。

もしかすると、世界のスラムの中でもあいりん地区は特殊かもしれない。

極端に高年齢男性比率が高い。見渡す限り、50歳以上の単身労務者と思しき男性ばかりである。
女性や子どもは稀にしかみかけない。職安、ドヤの集まる周辺は、まったく家庭のにおいがしない。

地図上では、職安のすぐ隣に今宮中学、萩ノ茶屋小学があるので、登下校時には子どもが歩いているはずなのだが、私の感覚ではむしろこの殺伐とした異様な空気の中に小中学校があるのが不思議であった。

子どもがいない町とは、すなわち未来への希望が感じられない町だ。

あいりん地区には、強烈な負の空気が渦巻き、敗残者の匂いが濃厚にただよっていた。
直感的に、ここに1度落ちたら(落ちたらという言葉は失礼かもしれないがそう表現したくなる)、這い上がるのは非常に困難なのではないかという気がした。

一般に、弱者は傷をなめあえる同士では優しくても、仲間内から出て行こうとする人間に対しては苛烈なものだ。
もしも這い上がろうとする人間がいても空気に押しつぶされてしまいそうな気がした。

★★★

あいりん地区は一体どうなっているのか。

1988年の「あいりん地区(釜ヶ崎日雇労働者の高齢化と生活問題」は興味深い。
http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10466/7100/1/2009000698.pdf

このレポートをみると、高齢単身男性労務者の町というあいりん地区の特徴はこの時期から変わっていない。
もちろん今の方が更に高齢化が進んでいるだろうが。

特に目をひいたのは以下の記述だ。

(建設業に従事する労働者は)重層構造をなす下請け契約の最底辺にあって暴力的労務管理のもとにおかれている。
したがって建設労働者は、労働現場において柔軟性と高い技術水準を必要とされながら、不安定な雇用関係と頻発する労働災害、労働力再生産を困難にする低賃金とそれ故の社会的蔑視のもとにおかれている。

暴力的労務管理とは。具体的にどんな状態をさすのだろう。
そして50年代、60年代ならいざしらず、88年当時でもそんな状態の現場が多かったのだろうか。そして今もそんな状態の労働現場があるのだろうか。とすれば、捨て置いてよい問題ではない。どう考えても数々の違法がありそうだ。

釜ヶ崎の労働者は常に野宿の危険にさらされている。労働者の声をきくと「野宿することは恥かしい」「健康にわるい」「おいはぎにやられる」「眠れない」そして社会問題をかかえた疎外された少年たちからもしばしば攻撃される。野宿を繰り返すうちに精神的にも肉体的にも荒廃していく。

野宿せざるを得ない状態が「健康で文化的な最低限度の生活」に至らないことは明らかだ。
釜ヶ崎の住人達もこう言っている。

釜ヶ崎はまともなところではない」「精神的に緊張しっぱなしで気が休まらない」「人生のふきだまりだ、人間らしい生活がしたい」「釜ヶ崎では怠けぐせがつく、人間がだらくする」

あいりん地区の現状は明らかに異常である。

なぜ今日の日本にあいりん地区のような地域が出現しているのか、私にはいまだによく理解できない。

多分、かつて日本で最も有名だったドヤ街は山谷であろうが、今日の山谷はこんな剣呑な異世界ではない。

貧困の解決は、政治、行政の最重要課題であることに異議のある人はいないだろう。
あいりん地区は、どれほど重く困難であっても、大阪府大阪市のまさに取り組むべき大きな課題であることは間違いない。

少なくとも「釜ヶ崎では冬が越せないから軽犯罪を犯して刑務所に入ろう」という発想が生じる社会は間違いすぎだ。

あいりんを抜け出す意志のある者に対しては、多分、あいりん地区を抜け出すための施設を用意すべきなのだろう。
あまりに高齢化が進んでいることから、それは特別養護老人ホームになるのかもしれない。
まだ労働可能な年齢の者については、労働の場および教育の場と宿舎が必要かもしれない。

刑務所より有意義で適切で、ランニングコストのかからない生活支援施設と労働支援施設の設立と運営というのはそんなに困難なことなのだろうか。

行政の協力は不可欠としても、その気になればできそうな気がするのだが。

2013年6月1日追記)
あいりん地区について、私の疑問のいくつかはこのレポートを読んで解けた。あいりん地区について知りたいと思ったならば、まずは読むべきレポートはこれだろう。
「あいりん地区の現状と課題」ー労働を軸に(釜ヶ崎支援機構)