フィリピン旅行記録3〜コレヒドール島での廃墟考〜

コレヒドール島では、かつての大規模な兵舎跡(廃墟)が観光名所の1つになっている。

縦横の比率が実際と違ってしまっているがコレヒドール島で売っていた絵葉書。

個人的にはこの廃墟に対し、「いまいち美しくない」「保存状況が悪い」「いわゆる”死体みたいな廃墟”だな」と残念な印象を持ってしまった。
しかし、その印象は妥当なのか。


★★★

ヨーロッパには観光名所としての廃墟が沢山ある。例えば、私のかつてのイギリス旅行など、ほとんど修道院跡(廃墟)巡りだった。
で、多くの廃墟で、「この廃墟を一番美しい状態でキープするぞ」という管理意思が明らかに感じとれるのだ。

そういう「廃墟を美しくキープする」という思想は、1945年以前の日本にはないだろう。

例えば、名作の呼び声高い映画「雨月物語」では長まわしのパンで、かつての住居が今は見る影もない廃墟となっている様を表現しているが、あれが日本の廃墟に対する感覚だと思う。

たかだか数十年、もしくは十数年を経るだけで朽ち果てる。
木造建築だから、多湿であればすぐ朽ちる。豪雪地帯では、空き家になればすぐつぶれる。

「時とはなんと無常な」という感慨。かつて存在し、今は滅び去ってしまったものへの詩的共感。ロマンティズム。それが日本の廃墟感覚だ。

「夏草や 兵どもが 夢の跡」

この芭蕉の句に尽きる。

ヨーロッパにおける、あの「廃墟を一番美しい状態で保存し続ける」という思想は、石文化で、かつ、気候条件がそれほど高温多湿ではないからこそ生まれうる。

しかしながら、日本同様、というか日本以上にフィリピンにも「廃墟をキープする」思想はない。
なにしろフィリピンは日本以上に高温多湿の国なのだ。

私は、すっかり西洋的廃墟感覚になってしまっているから「純粋に廃墟そのものが美しい。またはかっこいい」ことを求めてしまう。

しかし、この高温多湿のフィリピンで、廃墟を最も美しい状態で保つことは難しい。

そもそもあの兵舎跡はアメリカと日本のものだし、個人的には、いっそコレヒドール島はもう自然に還したらどうだ、フィリピンに還したらどうだ、と思うのだ。

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