2009年のエンディングノート

砂田麻美監督「エンディングノート」を観る。
http://www.ending-note.com/

エンディングノート [DVD]

エンディングノート [DVD]

多分、2011年日本公開映画No1はこれだろう。

どんな映画か説明するのは難しくない。要約すればこんな感じだ。

『主人公は熱血営業サラリーマンだった砂田智明氏。2009年胃がん発覚。「段取り命!」だった彼の最後のプロジェクトは「自らの死の段取り」とその集大成ともいえる“エンディングノート”の作成。がん発覚から半年後に最期を迎える。享年69歳。そんな父の最期の日々を娘が記録したドキュメンタリー映画

映画としても、視点のあり方とか構成が非常によくて完成度が高いと思う。冷静な距離感を持って作っている。
観ていてつらくなるような作品には決してせず、観客を楽しませつつも伝えたいことを伝えるというのがやっぱりプロの仕事だと思う。

そしてなんといっても2009年日本におけるがん死の典型的記録としても価値が高いだろう。

主人公とその家族は、平均よりはだいぶ裕福で、色々な面で恵まれた環境にあるがあくまで普通で無名の人々である。
もうこれでもかというほど今どきの日本の典型的家族だ。

・首都圏在住
・サラリーマンだった父
・専業主婦の母
・子どもは3人
 長女(配偶者あり)、長男(配偶者あり・子ども2人・現在、仕事でアメリカ在住)、次女(独身30歳。この映画の監督)

印象に残った部分を箇条書きにしてみる。

1.がん発覚

少し意外だったのが、主人公は毎年健康診断を受けていたのにもかかわらず、見つかった胃がんはステージ4(末期)。胃がんは見つかりやすいがんなのに、なぜだろう。素人の仮説としては2つ。
(1)胃がんは発症からステージ4に至るまでが1年に満たないほど進行が早い場合がある。
(2)前年の健康診断で見落とされた。バリウム検査だと見落としが生じやすい。

検査で絶対に見落としがないなんてありえない話だし、いずれにしても仕方のないことなのだが。

2.がん告知

主人公は、「何事も事実を正確に把握し、自らの手で物事を進行したいという性分」。
つくづく主人公のがん発覚が2009年の今でよかった。
一昔前までのがん告知を本人にはしない、家族も一丸となって隠すのが一般的だった時代が過ぎ去ってよかった。そんな時代だったら、この父の死は悲劇だっただろうと思う。
本人にがん告知をする、しかもステージ4ということまで。そんな時代になった。

もっとも、約8割の人は告知を望んでいる(2008年厚生労働省「終末期医療に関する調査」)。告知しない医療などという患者ニーズ無視の医療はありえない。


3.抗がん剤治療

相当高学歴であろうこの家族。にもかかわらず、家族は抗がん剤治療にいい顔をせず、人参のジュースだのを奨めたり「薬、やめちゃえば」なんて実に無責任なことを軽く言ったりする。生存可能性の低いステージ4と診断されると医療を拒絶してそういう第三の道にすがりたくもなるのかな、現実逃避をしたくなるのだろうかと思いつつも釈然としない。

補完代替療法には、治療効果、つまりがんの進行を遅らせる、生存率を高める効果が証明され、治療法として勧められているものは現段階では1つもありません。したがって、効果が期待できる治療法として見なされません。同じく、吐き気やだるさなど、がんに伴う症状を和らげるための代替療法についても、治療法として勧められると判定されているものは、1つもありません。
補完代替療法を自分や家族で考えるときには、まずこのことを踏まえて検討する必要があります。
国立がん研究センターがん対策情報センター編著「患者必携 がんになったら手にとるガイド」)
http://ganjoho.jp/public/qa_links/hikkei/hikkei01.html

「人参ジュースでがんが消えたりしない」という極めて常識的な話への理解が薄い様子なのはなぜなのだろう。

砂田氏には、父親が医師であり、若い頃、医師を目指したバックグラウンドがある。最後まで医師を信じ、診察に通い治療を続ける。この辺り、周りに煽られて主人公が怪しげな民間療法だのに迷走したりしない強さに救われる。

ただし砂田氏は「夜、眠れない」と医者に訴えている場面もあり、大変つらそうであることは垣間見える。その痛みやつらさの原因が「がん」なのか「抗がん剤治療により引き起こされているもの」なのかがよく分からない。

私が砂田氏であれば、発見時点でもう「治る」ことがまず期待できないステージなのだから、苦しい時間が少なくてすむこと、つまり、いかにQOL(生活の質)を向上させるかだけを考えることにして、抗がん剤治療は選択せず、むしろ緩和ケアのみを選択するだろう。

そのような選択肢は医師から示されたのだろうか。


4.69歳まで生きても親より先に死んでしまう

子ども達も全員独立。一番下の子も30歳。会社はとうに定年退職、67歳で仕事から引退して年金も支給されている69歳。死を迎えるのに特に悲劇的な要素のない状態だろう。
が、なんと主人公の母親は94歳で健在。69歳でも親より先の死になってしまう。
日本の長寿社会ぶりは半端ない。

5.宗教の存在の希薄さ

がんを宣告され、砂田氏は教会を訪れる。気持ちが安らかになれる場所としての選択とのことだが、娘の「なぜ教会を選んだのか」という問いかけに「オフレコで」といいながら「経済的理由」とも回答している。「経済的理由」という回答の裏には、別段、何の役割も果たさないにもかかわらず戒名代等をぼったくる仏教に対する納得の出来なさなどもあるかもしれない。
死の間際に神父ではなく次女により洗礼を受けている。
砂田氏はカトリックに敬意ははらっているし、洗礼のためにまじめに勉強されていて、氏の内面でキリスト教が実際のところどのような存在だったのかは分からない。
ただ、映画で見る限り、宗教が大きな役割を果たしているというようにはみえない。
死のプロセスにおいて宗教が果たす役割がどうも希薄というかほとんどないようにみえるというか。


6.半年間のQOL(Quality of Life)

12月に検査入院。クリスマス直前に一旦自宅に帰宅。25日に体調急変し入院。29日に家族に看取られて死を迎える。
砂田家が一丸となって主人公の死というイベントに取り組んでいく様がすばらしい。クリスマス休暇に急遽、日本にやってくる長男家族、主人公が目に入れても痛くないほどかわいいと思っている孫たちとも最後の時間を共有できた。妻とも、伝えるべき言葉を告げて最後の別れができた。

かなりQOL(Quality of Life)の高い半年間だったといえるのではないだろうか。
砂田友昭氏、幸せな人生を送られた方だと思う。

この映画は砂田氏が死に向かって取り組む強さと、娘にカメラを向けられることを受容できる強さを持った人だからこそ撮ることができた作品だ。

とはいえ、砂田氏の強さは特異なものというわけではない。こうした末期ガンの告知をされたら、同じように死というプロジェクトにまっすぐ取り組んでいくだろうと思われる強さを持つ60歳過ぎの人間は、私の身の回りでも何人か思い浮かぶ。
そういう意味でも2009年の日本の一つの典型的な死を記録した映画ではなかろうか。

7.葬儀・エンディングノート

葬儀場所からその段取りまでを考える時間がある。実行してくれる家族がいる。家族の意思を尊重しつつも死後の扱いについて思いや意思を示すことが出来る。

緩和ケアも進化を遂げている現代の日本では、死への準備期間のあるがん死は、贅沢で幸せな死ととらえることもできる。

<関連記事>
2012年1月14日「千葉敦子氏をふりかえる」

<2013年11月追記>
もう既にこの映画「エンディングノート」の風景はひと昔前の終末期の風景となりつつあるのかもしれない。在宅緩和ケア医をされている萬田緑平医師の「穏やかな死に医療はいらない」を読んでそう思った。
この映画でずっとひっかかっていたことがある。砂田氏の抗がん剤治療である。砂田氏のがんは発見時点ですでに手術不能な末期だった。治ることは見込めない。そして抗がん剤治療は苦しくつらい。私が砂田氏だったら抗がん剤治療はやらない。というか、本当は医師の「抗がん剤治療が当然だよね」という無言の圧力さえなければ、この状況で抗がん剤治療を選択したい人はむしろ少数派なのではないか。
砂田氏は医師が望む提案(抗がん剤治療)を受け入れ、最期は病院で迎える。「空気を読む」ことが得意な氏には、医師に対案を提示するとかいう発想はない。そもそも、担当医の念頭にもない提案をすることなど、軋轢を避けることを是とする日本人にはまずできない。

もし砂田氏が萬田医師のような緩和ケア医に出会っていたら。抗がん剤治療をせず緩和ケアに徹して自宅で最期を迎えたかもしれない。そして多分それが次世代スタンダードの「エンディングノート」だ。

穏やかな死に医療はいらない (朝日新書)

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