江戸火の見にみる縦割り行政

消防博物館がおもしろい。
http://www.tfd.metro.tokyo.jp/ts/museum.html

地下1階の「消防自動車変遷ゾーン」は、かっこいい消防自動車のオンパレード。屋上にはヘリもある。子ども大喜び間違いなしのアミューズメントパークだ。

大人には5階「江戸の火消しゾーン」も興味深い。
この頃の「火消し」は、延焼を止めるための破壊しかしていない。近代消防技術は明治以降のものだ。
江戸においては「所詮、家は焼けるものだし安普請でいいのだ」という考え方だったように思う。2〜3年に1度は大火が頻発していたという江戸では「家が資産」という発想は持てなかっただろう。むしろ家は消費財くらいの感覚かもしれない。大体、江戸城だって焼けてるし。そして再建されないし。

なかでも印象に残ったのがこちら。

町火消の枠火の見

枠火の見は、火の見櫓のない町には自身番の上に梯子を立て半鐘を吊るすたけの火の見が、1町に1ケ所づつ建てられた。
枠火の見は、寛政の改革で町入用を減らすために梯子にされたものが多く、火の見梯子は、この頃から江戸に多くなった。
定火消の太鼓が鳴らない限り、他の火の見櫓が火災を発見しても板木や半鐘を鳴らすことが出来なかった

どれだけ縦割りなんだ、江戸行政。