名曲喫茶ライオン

普通、喫茶店の用途はこんな感じだろうか。
ケース1「まぁ、久しぶり。何年ぶりかしら。元気にしてた?そこの喫茶店でお茶でもしない?」
ケース2「ネェちゃん、ちょっと茶ぁしばかへん?」
ケース3「では、詳しい内容をご説明させていただきたいと存じますので、お時間いただけますか?場所は喫茶○○でいかがでしょうか」

上記のいずれのケースでも、選択する喫茶店は決して「名曲喫茶」であってはならない。その選択は友情復活の障壁となり、ナンパ失敗、商談不成立を確実に約束する。思い出すだに「一生の不覚」くらいの大間違いである。

名曲喫茶は音楽鑑賞のためにある。だからこうした普通のシチュエーションが場違いになってしまう。名曲喫茶ではほとんど会話はできない。

名曲喫茶は、かつてレコードも高価で、日本のオケのレベルも低く、名門オケの来日公演など滅多にない、まだ日本の貧しかった時代に手軽に安くクラシック音楽を聴ける場所として存在していた。らしい。

何軒かの名曲喫茶に行ったことがある。
古色蒼然というか、椅子のすすけぶりなど、とても快適とはいいがたい店もあった。なんだか妙な緊張感がただよっていて、一言口を聞くのも憚られるような店もあった。で、それほど音響がよいと思えない店も多かった。これなら家でCDを聴いた方がよい。今やかつての名演奏CDが1000円以下で手に入る時代である。なるほど、名曲喫茶が滅び行くのは必然という納得感があった。
都内でもほとんど見かけなくなった名曲喫茶。ほとんど絶滅危惧種といってもよい。


さて、渋谷は道玄坂、ラブホテル街。都内有数の瘴気ただようこのエリアに奇跡のようにその店はある。

名曲喫茶ライオン」
http://lion.main.jp/info/infomation.htm

音楽を聴く心地よい緊張感。「一言も会話してはいけない」というような妙なプレッシャーはないが、でも自然と会話は控えさせられる。
1926年創業。現在の建物は1950年に再建されたものらしいが、よい意味での古色蒼然。居心地のよい空間となっている。
そして「ステレオ音響完備(帝都髄一を誇る)」という言葉は伊達ではなく、確かに素晴らしい音響である。
この音響で貴重な歴史的名演奏の数々を聴く贅沢を堪能できる。これは入り浸らずをえない。なぜこんな場所にあるのか、立地が実に解せないが、この名曲喫茶は貴重な守るべき文化遺産だろう。

★★★

昔、東急の文化村に対してよく思ったものだ。
「あの道玄坂エリアに文化村なるものを構想するとは、東急はなんと挑戦的な」
勿論、私は東急の挑戦を応援している。でもやっぱりこうも思う。
「あの名曲喫茶ライオンの鼻先にコンサートホールを造るとはチャレンジング」

文化村のコンサートホールは素敵なホールだと思っている。でも告白すれば、私はあのホールでライオンを超える音楽体験はしていない。

というか、古今東西の名演奏が録音で聴ける今、コンサートに足を運ぶモチベーションはどうしても低くならざるをえない。

★★★

昔、マーラーの「復活」に妙にはまったことがある。そんな時期、とある定評あるオケが「復活」をやるという。そのコンサートをそれはそれは楽しみに聴きに行った。
その帰り道の失望と落胆は忘れられない。「はぁぁぁ、家でCD聴いてればよかった。チケット代と交通費と時間が実にもったいなかった。というか、早く家帰って、クレンペラーのCDを聴き直さねば!」
あのがっかりな演奏の原因は明らかに指揮者の力量不足だ。曲の解釈がどうのという問題ではない。私は確かに音楽の素養の足らない人間だが、それは力一杯、断言する。

ここまででなくても、がっかりなコンサートというのは結構ある。それはある程度、仕方のないことだ。聴衆は天才達の名演を聴き込んでしまっている。天才の名演に匹敵する演奏を求められても難しいものがあるだろう。

このような状況の中では、私はがっかりする可能性の高いコンサートにあえて足を運ぶより、ライオンで確実な名演奏を聴きたいと思ってしまうのだ。
何しろコーヒー1杯500円だし。