災害時のテレビ報道

3月11日からしばらくの間、民放はCMさえ流さず、津波災害一色の放送となった。企業CMの代わりのひたすらAC。
ある人が言った。「最近、テレビが面白くなくって。」
早速、放送法第6条の2を献上する。

放送法
(災害の場合の放送)
第6条の2 放送事業者は、国内放送を行うに当たり、暴風、豪雨、洪水、地震、大規模な火事その他による災害が発生し、又は発生するおそれがある場合には、その発生を予防し、又はその被害を軽減するために役立つ放送をするようにしなければならない。

「むしろ普段の番組は災害時までの埋め草・・と言ったら言い過ぎですが、テレビ放送は災害の被害軽減のためにあるのですからこれでいいんです。」

しかし「スピッツ草野マサムネ氏が余震などに対する不安や悲惨な映像を見続けたことによって急性ストレス障害で倒れて全国ツアー延期」との報道を見て考え直した。

確かにこのような災害映像ばかりみていると精神的に不安定になってもやむをえない。私自身、自分では平常なつもりだが、客観的にどうだったのか分からない。実際、震災後、相当に体重が落ちたのは確かだ。

ましてや子どもにとって、災害映像は余りに刺激が強く、精神的衝撃が大きすぎることは明白だ。

ひたすら災害映像を流し続けることによって視聴者が精神的打撃を受け、人によっては仕事や日常に支障が出るほど精神不安定になるという「被害」を受けたという側面は確かにあったかもしれない。

では災害時のテレビ報道はどうすればよいのか。

ポイントは3つ。

1.放送法第6条の2をふまえ、「災害の被害を軽減するために役立つ放送」であること。
2.災害の情報を得ないと不安だからテレビをつけてしまうが、災害映像を見続けると精神的に不安定になるリスクがある人がリスク回避しつつテレビから災害情報が得られること
3.企業CMを流せなかったことによる企業およびテレビ局の経済損失は大きい。企業がテレビ放送を使って社会的貢献の高い番組と宣伝が提供できること。

というわけで、災害時はこんなテレビ放送はどうだろう。

民放は災害時、以下のような番組(2時間程度)を交互に行なう。

・映像
安曇野奥入瀬などの日本の自然映像。今回なら、美しかった三陸の美しいリアス式海岸の風景などを取り入れてもいい。視聴者に「この風景をもう一度取り戻したい」という思いを強く抱かせる効果もある。ただし、「日本は被災地のみで構成されてはいない」というバランスをとるため、被災地以外の映像も必ずいれたい。

・音楽
「レクイエム」は行方不明の方の捜索が続いている状況の中では不適切かもしれないが、でも祈りをこめることのできる曲がいい。バーバーのアダージョブルックナーのモテットなど。テレビ放送が音楽による精神的救済を提供してもいい。
ただし、名曲であるほど音楽は大きな力を持つ。使われ方には注意が必要だ。
例えば、高嶋みどりの「六月」。もしこの3月の災害後にこの曲を流したら、多くの人の心を打っただろう。「どこかに美しい村はないか・・・」と憧憬をうたう歌詞は限りなく美しい。しかし、実際に津波により失われた町が、住んでいる若者にとって絶望のにおいのする、また行政にとっても将来展望の見えず、交通機関、介護、医療の提供等に大きな負担のかかる限界集落であったとしても、あたかも「美しい村」「美しい町」であった幻想を生んでしまうのは危険だ。
また、ヴェルディの「行けわが思いよ 黄金の翼にのって(Va pensiero,sull'ali dorate)」などをうたわれて、再び津波で壊滅する可能性の高い地域に町を「復興」することになっても困る。
考えてみれば音楽の力を意図的に使おうとすると、冷静で合理的な判断を押し流してしまうリスクの方が大きそうだ。今回、音楽の持つ力がほとんど無視されていたのは、意図的な利用がなされるより、もしかしたらよかったのかもしれない。

・字幕(情報)
下に「災害情報」の字幕、上に「お見舞い申し上げます」の文字と「この番組の提供企業名」および「この災害における企業の取り組み状況」の字幕。
「ローソンは以下の店舗は営業しています。」とか、「以下の店舗は何日から営業します。」とか、「○○地域にお住まいの方宛の宅急便(または郵便)は○○で受け取れます。」とか。被災地の人にも役立つし、企業の力量ややる気も日本全国にさらされる。
私だったら勿論かじりつきでチェックしてしまう。

で、緊急の重大情報が入ったらアラームで知らせるとしておけば、安心してそのチャンネルにしておけるのではないか。

これなら視聴者・企業・テレビ局にとってWin−Winの提案だと思うがどうだろう?