美しいものは儚いか

とある高名な先生はおっしゃった。子、曰く

「私が思うに、美しいものは儚い(はかない)のです。」

なるほど。移ろうからこそ、いつか失われてしまうものだからこそ、心を動かされ、惹かれるのか。

日常でもワイングラスを割ってしまったとき、プレートを欠いてしまったときはこう思おう。
「ああ、美しかったから」

しかしこれは宗教家や芸術鑑賞の観点からの言葉だ。
実務家としては「なぜ壊れたのか、どうすれば壊れなかったのか、壊れる可能性を低く出来たのか」を検証し対策を立てるだろう。

例えばワイングラスを割ってしまったとする。

・酔っ払って手元の怪しいときにワイングラスを洗うと割る可能性が高い。
→翌朝、酔いがさめてから洗うことにすれば割る確率は低くなる。翌朝に洗うデメリットは特に考えられない。ワイングラスは翌朝洗うことにしよう。

リーデルのワイングラスは繊細で割れやすい。
→しかしながら、ワインはグラスで味が変わる。お気に入りのワインを最も美味しく飲めるのはリーデルのこのグラスだ。
→リスクは許容しよう。

すべてのリスクを排除することは出来ない。割り切りをもたざるをえない。
何かが失われてしまった時、今後生きていく上での納得を得るための宗教や哲学(「ああ、美しかったから」というような大きな観点での納得)もきっと大事だ。


もっとも冒頭の先生の台詞は芸術表現を語ったもの。
つまりプロの芸術家とは「日々の鍛錬に支えられた強靭な技術により"はかなさ"を舞台上で表現できる人」をいう。