薩摩藩と武士

薩摩藩がおもしろい。

江戸時代、武士は全人口の5〜6%程度だった。

戦のない300年、軍人の役割などないわけで。江戸時代、大部分の武士は社会的ニートだったと言える。
全く生産性も必要性もない人口を抱えるのはどうしたって苦しい。失業して困窮する浪人がメジャーな存在になるのは、そりゃ必然だ。

で、薩摩藩である。
なんと薩摩藩では人口の約25%が武士階級だったという。

普通にありえない。

ここに薩摩藩の独自ぶりがある。なぜ25%も武士であることが出来たのか。
薩摩藩では、平治は農耕によって自活、戦いが起きた時には地頭の指揮下に動員される、「郷士」という武士階級があった。

なるほど。

武士に生産性を持たせたわけである。

考えてみれば、人口の5〜6%程度という割合は微妙だ。
生産性の低い江戸時代、「ただ飯を食わせる社会階層」としては多すぎるにしても、実際の戦がそんな少数で出来るとも思えない。
火縄銃くらいしかない当時、戦は「直にやりあう戦闘能力のある兵士の人数」が勝敗を決めるだろう。
戦をするなら兵士層はがっつり必要だ。

薩摩藩の武士25%というのは、「マジで戦やる気満々」という思想が明らかで、普通に驚く。


日本各地における江戸時代の城と城下町をみると「仮想敵」は他国(他藩)ではなくて、自国内の領民だな、と思う構造やらシステムになっている場合が多い。

実際、他国が攻めてくるという想定より、食いつめた領民の一揆の方がよほど肌感覚で危機感を覚えただろう。何しろ、搾取する側、される側の構図は明らかだ。

「自国内の支配しやすさ」を考えたら、ごく内輪の支配側以外からは武器は取り上げたくなる。いわゆる兵農分離だ。しかし武器を奪おうが、群衆が暴徒と化したら相当怖い。

城やら城下町の過剰な隔絶ぶりに、支配する側(武士層)の怯えを感じることもしばしばある。

薩摩藩の城や町は、それらと一線を画する。

「薩摩は人をもって城となす」か。

この独自路線ぶり、面白すぎる。