火事の記憶
私は今までの人生で3度、家屋が全焼した火災現場を目撃している。
そのうち最も規模が大きかった火災では6棟が全焼した。
1軒の半端ない老朽木造借家から出火し、あっという間に燃え広がった。
出火元の隣は消防署だった。消防署はがっしり厚いコンクリート造りの耐火構造。
燃えさかる災にびくともしない。
また、火事の燃え広がる裏手には10階以上の高さのマンションがあった。災はマンションの壁をなめるだけで、そこで延焼は止まった。
この火事は、消火活動というより周囲の鉄筋コンクリート建物のおかげで延焼が止まっている。
多分、一定以上の規模に燃え広がると消防署でも打つ手無しなのではないか。
燃え広がった火事を食い止めるのは、消火活動より耐火建物。
幸いなことにこの火事で死傷者は1人も出ていない。
不謹慎のそしりを覚悟で火事の印象を述べるならば、燃えさかり、夜空を赤々と照らす災は大変美しかった。
なるほど「火事と喧嘩は江戸の華」とはこのことか、と。
火・災は明らかに人を高揚させる。
火事から生じる因果として、焼け出される人、ひょっとしたら死傷者が生じるかもしれないこと。もしその災禍を自分が引き起こしたとすれば、耐え難い罪の意識に押しつぶされるかもしれないこと。この2つを予測しうる理性が何らかの理由でふっとんでいるとすれば、放火の衝動に突き動かされるというような精神状態は大いにありうる。
「八百屋お七」の物語が人気な理由は、この辺りにあるのではないか。
火事は多くの悲惨を引き起こす災いには違いないのだが、火災には思わず「華」と形容してしまうような美しさと強烈な魅力がある。
もっとも火の魅力を堪能したいなら、火祭りや野焼きにでも参加すればいい話なのだが。
★★
私が目撃した3件の全焼火事の共通点。
・死傷者はなし。
これは本当に幸い。
・全焼したのは木造またはバラックでかなりな老朽家屋。
「どうみても木造」という家ほど派手に焼ける。1軒のボロ木造借家が全焼した火事のとき、木立の高さを超えて火柱がたった。木造家屋6軒全焼の火事も災が夜空を赤く染め上げた。
バラック風の店舗兼住宅の場合は火よりも煙がすごかった。
そして「火事があるたびにボロ家がなくなり立派な家が建つ」という台詞を聞いたが、それは事実である。
・火元となった家に住んでいた人は、どこかへ去っていった。
借家人が出火したケースは、借りている物件が焼失したのだからそこで賃貸契約は終了し出て行かざるをえない。
また、持ち家(店舗併用住宅。正面のファサードだけはこぎれいで、一見、耐火建物のようにみえたが、脇からみると実はバラック)が全焼したケースでも、住人はどこかに引っ越し、跡地は駐車場になっている。
商店街で起きたこの火事では隣近所も少し類焼しており、翌日、隣に住んでいるおじさんが取り乱しているのをみかけた。「隣近所に迷惑をかけた」ということも引っ越す大きな要因だったかもしれない。
★★
今は耐火建物が増えているため、こうした派手な火事が起こることは少なくなっているはずだ。
さすがに4度目の目撃はないだろう。