沖縄のオジイの言うたこと

沖縄の民宿で雑談していた時のこと。
70歳はゆうに超えているであろう宿のオジイがこう言った。

「医療ミスで訴えるなど、好かん。お医者様は一生懸命やってくださったのだから、もしも自分がお医者様のミスで死ぬことがあってもそれは仕方のないことだと受け止める」

うろ覚えだが、そんな主旨の言葉だった。

思わず心を打たれてしまった。
医療従事者だって人間だ。ミスくらい絶対する。
自分の胸に手を当てて思い出してみよう。仕事上でミスをしたことがない人がいるだろうか。
告白すれば、私は色々な偶然が重なったら他人の人生に大きな不利益を与えていたかもしれないミスさえ1度ならずやってしまっている。

で、そんな自分が他人に対し、医療従事者だという理由だけで他人に完璧を求めることができるのか。という話である。

もちろん、医療提供側にミスをしない努力、ミスを防ぐ取り組み、ミスを反省する気持ち、ミスしてしまって申し訳ないと思う気持ちは必要だ。

また、中には「うっかり」ということではなく「起こるべくして起こった事故。人としてあり得ない。許しがたい」というようなケースもあるだろう。放って置いたら次の被害者が出ることが確実に予想でき、医療機関側に自発的改善はもちろん、患者からの注意喚起をした程度では改善が望めないケースだ。そのような場合は訴えるのが最善の策かもしれない。しかしそれは例外的だろう。


例えば、結果的にみれば誤診だったり、措置が最善ではなかったという場合で訴えられたりしたら医師はたまったものではない。神なみの判断能力を人間である医師に求めてはモンスター患者といわれても仕方あるまい。
なお、通常よくあるのは「うっかり」というようなミスによる事故だろう。「うっかり」が再発しないための個人のみならず組織としての取り組みは必要だが、患者側としても、根本に赦す寛容さを持つことは人として必要なことではないかと私は思う。

というか、通常は信頼関係さえあればそういうケースで訴えるようなことは考えられないのだが。

★★

しかしながらオジイ、「出された薬なども確かめたりしたことはない」というのはいかんと思う。

「確かめたほうがいいですよ。結構間違ってたりしますから」。その場にいた看護師があっさり発言。

「みられている」「検証されている」「評価されている」という緊張感がなければ、誰だって、どんな仕事だって「やりたい放題」「杜撰」「いい加減」になっていく。

それに患者のための治療なのだから、患者が当事者意識を持って共に取り組まないと、まじめな医療従事者ほど「やってられない」という気持ちになってしまうだろう。医療の質を上げる責任は実は患者にある。

「信頼」は必要だが、「お任せ」はダメ。

とりあえず、「よりよい医療は患者がつくる!」くらいの気概でいっとこうか。