ミューザ川崎の衝撃

2011年3月11日、東京23区、神奈川県東部における震度は5強であった。
地震発生時、私は「立って歩けるほどの横揺れ。おそらく震度5程度。6はない。人的被害は0または数人。建物被害も大規模なものはないはず。」と推定した。

この推定は東京に限ってはほぼ正しかった。

もっとも地震発生時に私が想定した死者は「慌てて外に飛び出して自動車にひかれた」「本当に運悪く上からの落下物に直撃されてしまった」という類のもので、九段会館の崩落は「想定外」であった。

九段会館で被害にあわれた方のご遺族の心境を思うと言葉もない。
私が遺族であったなら、まさか震度5強程度の横揺れで、不特定多数が利用するホールの天井崩落して突如として大切な家族が亡くなるとは到底納得できない、受け入れられないと思うからだ。
あの崩落は建物の管理責任を問われるべき人災であり、九段会館を管理する日本遺族会は責任を問われなければなるまい。

しかしながら、実は多数の死者が発生したかもしれなかった崩落があった。

ミューザ川崎である。

首都圏のクラシック音楽ファンには馴染み深く、かつ音響や見た目の評価も高かったホールであるがこれは酷い。

2011年4月16日 毎日新聞http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110416k0000e040005000c.html


(写真:2011年4月16日毎日新聞より)

「声が出ませんでした。ホールは音楽家の家であり楽器。その空間を失った我々も一種の被災者かもしれません」
ミューザ川崎をホームコンサートホールとする東京交響楽団の楽団長の言葉である。

いや違うだろう。
私がこのオケの楽団長という立場であればこう言う。

「声が出ませんでした。地震がコンサート中に起こり、この崩落が観客を直撃したらと思うと背筋が凍ります。私たちのコンサートを聴きに来る観客、このオケの多くの支援者の命が危険にさらされたのです。
この崩落は2003年に竣工された公的建造物においてあってはならない、また、ありえないものです。この崩落の原因、責任がどこにあるのかが解明され、確かな対策がなされたと確信できなければ観客の足が遠のいても仕方のないことです。
川崎市にはこの崩落の原因の徹底的な究明をお願いしたい。その結果によりホールが使用不可になったことによる損害賠償請求を検討します。」

クラシックコンサートに足を運ぶ人というのは限られている。
世の中ではクラシックコンサートなどほとんど行ったことがないという人が多い一方、毎週のようにコンサートに足を運ぶファンもいる。

私がもしもコンサート中にこの崩落を体験したら、または崩落を体験しなくても崩落により友人を失ったら、多分コンサートに足を運ぶ回数は激減する。

コンサート中に地震と崩落が起こったと仮定する。
ミューザ川崎の座席数は1997席である。天井崩落により会場が混乱して圧死者が出る可能性もある。
死者が数人であっても、2度とコンサートに足を運べなくなる重傷者も発生しうるし、事故のトラウマで二度とコンサートに足を運ばなくなる人も多数でるだろう。
この崩落により二度とコンサートに足を運ばなくなる人、運べなくなる人を1000人と仮定しよう。1人あたりの年間平均チケット購入金額5万円であった場合、クラシック界はチケット代金だけで年間5000万円の収入を失うことになる。

この仮定は個人的感覚としてはとても控えめだ。実際にはこんなものではない打撃を日本のクラシック界は被るのではないか。

そして東京交響楽団のコンサートでこの崩落が起こったとすれば、数あるオケの中でも特に東京交響楽団が多大な打撃を受けることになる。

2010年の東京交響楽団のプログラムによれば、
賛助会員(会費年額1口50万円) 法人49団体、個人12名
維持会員(会費年額1口10万円) 法人等14団体、個人53名
後援会員(年額12,000円) 個人200名以上

これらの会員は当然このオケのコンサートに足を運ぶ人々だろう。
もしコンサート中に崩落が起こったら、このオケは多数の支援者の命を失うこととなる。
お金の問題以上に支援者や観客の命が失われることこそが楽団にとって危機的な最悪の事態ではないか。

震度5強で崩落するような「耐震設計」などありえない。

ミューザ川崎の竣工は2003年12月。
施工 清水建設
建築基本設計 都市基盤整備公団神奈川地域支社・(株)松田平田設計

この明らかな不良物件、どこにどのように問題があったのだろうか。

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