ある児童虐待遭遇の記録の追記

ずっと気にはなっていた。でも少年の「その後」を知ることができるとは思わなかった。

少年が中学1年の冬、私は児童虐待を警察と児童相談所に通報した。

「ある児童虐待遭遇の記録」

そして少年が中学3年の秋、少年自身から「その後」を聞くことができた。

少年はここ数年を児童相談所経由で複数の児童養護施設で過ごしていたそうだ。そして最近、家に戻ってきたという。

よかった。警察も児童相談所もしっかり対応してくれたのだ。

もしも警察も児童相談所もおざなりの対応しかせず、少年を保護しなかったら、少年は「チクった」として父親から報復の暴力を受けただけだっただろう。少年も私もそれを強く危惧していた。
少年の危惧にもかかわらず、警察への通報を強行した私としては、通報の際、警察に適切に対応することを強く要求してはいたものの、内心、心配もしていた。
おざなり対応をされたら、今は他人に状況を話して助けを求めている少年が、「誰にも言わない方がマシ。助けなど求めても無駄」という社会と人間に対する不信感を持ってしまう。

はっきり言って、少年があのまま家にいたら父親からの暴力から逃れることはできないだろうな、と思っていた。
人を変えることは難しい。というか、基本、できない。

この場合は、父親が少年に暴力をふるわないようにすることが必要なわけだが、児童相談所の職員が「指導」してもそれは難しいだろうと思っていた。無理なもんは無理だ。大体、児童相談所は明らかに人手不足で、指導に多くの人手や時間を割くこと自体、物理的に無理だろう。
ちなみに私は少年の父親がモンスターだとは思っていない。「普通」の範疇の人間だろうと思っている。でも、多分、父親は暴力を止められないだろう。

では、少年は父親のいる家から逃れることが可能なのか。逃れてどこに行くことができるのか。
少年が逃れる先として、児童養護施設しか思いつかない。

だから、少年が実際に児童養護施設にたどり着くことができたんだ、ということを知って、心からほっとした。


で、今回、知ったこと。

警察への通報はとても重要。
少年は、小学校の頃から度々、父親から暴行を受けていた。小学校では、少年が暴行を受けていることを把握し、児童相談所に通報していた。しかしながら、状況は数年にわたり(結果として)放置された。


私が警察へ通報した際に驚いたのは、警察には少年に関する記録がなかったことだ。「ちょっと信じられませんが」と言って複数回確認してもらったが「ない」という。
小学校も児童相談所も、警察への届け出、あるいは情報連携はしなかったのだ。

私は小学校が児童相談所だけでなく警察へも届出をするべきだったと思う。
学校は、明らかな傷害の痕跡を確認したら、すぐに保険医などに診断させて証拠を保全し、警察へ届出すべきだ。
ただ、今のマニュアルではそうなっていないのだろう。

児童相談所も人手不足なわけで。
また、児童相談所にはない警察の職権というものもあるわけで。
大体、傷害事件は傷害事件で警察マターなわけで。

「傷害事件、暴行事件は必ず警察への通報を行ないましょう」と文部科学省が通達を出したら、かなり状況は変わるはずだ。

なお、学校だけでなく、どうも市民にとって警察への通報は心理的ハードルが高いらしい。

もしかして、傷害罪、暴行罪も暗数が大きいのでは疑惑。

「傷害は刑法罪ですから。ついでに傷害罪は非親告罪ですから。傷害、暴行の警察への届出は常識ですから」というのは声を大にして強調する必要があるかもしれない。

とにかくも、少年の件についてきちんと対応くださった警察や児童相談所の職員の方には本当に感謝している。


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2016年1月17日「ある児童虐待遭遇の記録」
2016年1月18日「児童虐待と子どもの立場」